旅日記14 タイ編 Vol.6 「大なもの」

月13日(晴)

 

 いつもより少し早く目覚めると僕は手早く朝食をすませ街へ出た。日曜日のせいかまだ人も少なく店も殆ど閉まっている。他にすることもなかったので宿に戻って日記をつけはじめた。今日は午後から昨日電話したMs.Poomと会う日である。

 時間が近づいてきたのでロビーで時間をつぶしていると、やはり日本人客がここは多いらしくそこにいた2人組みの女の子達としばらく世間話をしていると、今日一緒に行動する予定になている大学生達がやってきた。相棒と2人で行ってもいいですか?とのこと。車に乗れるかどうかわかないけど、向こうもタイ人の女の子が3人ということだから3人同士でいいんじゃないかなと、3人で待ち合わせをしているサヤームセンターのマクドナルドへ移動する。

 時刻はちょうど約束の12時だったが、しばらく待ってもそれらしき3人組みが見つけられなかったので、近くの公衆電話から彼女の携帯に電話しやっと合流することができた。

 どんな娘が現れるのだろうと密かに期待していたのだが、予想以上にPoomは笑顔が素敵なとてもかわいい娘だった。友人の代理で会っていることもあり、いかんいかん拙者は修行中の身とばかりに自分を戒めたが、そうでなかったらグラっときてしまいそうである。どうやら僕はかなり惚れっぽいらしい。

 以前、元彼女に旅に出たらきっと君は外人の女の子が好きになるよと言われたことがあったのだが、その時僕は日本人以外興味ないよと笑い飛ばしていた。しかしここにきて少し自信を無くしつつある。この後何か月かしたら恋愛に国境は無いよなんて言ってたらどうしよう。

 元彼女としたのは少し理由があるのだが、前の彼女とは以前から何度か別れる別れないの話が出た事があった。だが結局ずるずると付き合ったまま時が過ぎてそのまま僕が旅に出てしまった経由があった。ただ先日この旅の日記で僕が彼女の事を恋人と書いたのを読んで、私達もう別れてるじゃんと言った内容のメールが送られてきてそこで初めて、え?そうだったの?と知ったというお間抜けぶりだったりする。

 日本にいるときにすでに、別れる別れないは彼女の好きなようにさせてあげようと、僕が長期の旅に出るということもあってそう心に決めていたのでそれ程ショックは受けなかったが、その後なかなかメールが送れずにいたこともあってか、何度も念を押すメールが届いたのは少々閉口したのだけど。

 Poomの友達が車だったので、僕達6人は寿司詰めに乗りこみ郊外のチャトゥチャックのウィークエンドマーケットに向かう。ここは土日のみ営業のバンコク最大の市場なのだが、とにかく人、人、人で溢れており、この日はまた特に暑かったこともあり死にそうになりながらあちこち見てまわる。でもなかなか面白い民芸品や洋服などがあり結構楽しんでいた。特に一緒に言った大学生達はお土産を買い捲っており、Poom達が値引き交渉してくれてなかなか良い買い物が出来たと喜んでいた。ただお金の無い僕だけは何も買わず冷やかしただけで終わってしまった。

 その後市街地に戻り一緒にデパートの中のタイ料理レストランに入る。何が食べたいか聞かれたが、辛くないタイ料理と無理なお願いをしたにもかかわらずいろいろ頼んでくれて、どれも皆すごく美味しかった。ウィークエンドマーケットで彼女達が飲み物やアイスをご馳走してくれていたので、ここは僕達日本人が払うよと何度も言ったのだが、私達が日本に行った時ご馳走してもらうからと言って頑としてお金を受け取ろうとはしなかった。なんだかかえって悪いことをしてしまったかもしれない。

 彼女達は今大学の3年生とのことで、学校は違うが幼馴染とのこと。車を運転していた子は英語だけだったが、Poomとその友達は日本語が片言ながらも話すことができた。どこで日本語を勉強したの?と聞くとPoomの友達は大学で日本語を専攻しており、Poomは専攻こそ英文学だが、第2外国語が日本語だからとのこと。僕達大多数の日本人と違ってタイの大学生はちゃんと勉強しているのだなと妙な感心をしてしまう。

 Poomが僕達にタイ語はまったくわからないの?と聞いてきたので、サワデーカー(こんにちは)くらいかな?と答えると、何か知りたいタイ語はある?と言ってくれたので簡単な言葉をいくつか教えてもらった。

 美味しいがアロイでごめんなさいがコトカップ、楽しいがサンノークにまた会いましょうがレアウ ジュワ カンマイ等々。

 その後少しサヤームでぶらぶらした後、彼女達は来週から試験とのことで夕方にはそのまま別れることになった。試験が近いにもかかわらずあちこち連れていってくれて本当に申し訳ないことをしたのだが、僕がこの後アフリカからの帰りにまたバンコクに寄ることを話すとまた会いましょうと笑顔で言ってくれた。僕は純粋にタイ人の友達ができたことが嬉しかった。

 宿に戻り1人になると途端にやるせない寂しさに襲われる。一人旅というのは自分と向き合える良さはあるが、いろんな人と出会い別れてまた1人になった時、その出会いが楽しければ楽しかっただけ寂しさが反動となって帰ってくる。それはどことなく華やいだ祭りの後のなんとも言えない寂しさに似ているかもしれない。

 しばらくしてロビーに下りて行くとTVでタイタニックがはじまったところだった。朝会った日本人の女の子がそこで見ていたのでご一緒させていただく。しばらく見ていると今日一緒だった大学生もやってきていっしょに座って見始めた。

 女の子がタイタニックって月9(日本で毎週月曜日の午後9時に放送されているCX系のトレンディードラマの事)ですよねと言っていたが、俗な僕は結構タイタニックが好きだったりする。この映画は映画館とVTRでそれぞれ1回ずつ見ているのだが、特に初めて映画館で見たときは涙垂れ流し状態だった。

 タイのタイタニックの字幕は当然タイ語だったが、台詞は吹き替えなしで原作の英語のままだったのと、ストーリが分かっていたのでそれなりに楽しめた。

 見終わるとすでに夜の11時だった。皆ぞろぞろと自分の部屋に帰って行く。僕も部屋で1人になり物思いにふけっていた。

 最近1人になると時々考える事がある。それは僕にとって本当に大切なものってなんだろうということ。

 あったらいいなと思うもの、無いと困るものは沢山ある。ただこれが無いと生きてはいけないものって何だろうって考えたりする。余分な肉を殺ぎ落とすように僕のまわりからいろんなものを削って行くと最後に残るのはいったい何なのだろう。

 以前日本にいるとき僕はずっと、愛する人とちっぽけな夢、健康な体と少しのお金があれば十分というのが口癖だった。だけど恋人を失っても、もちろんその時は悲しいけど明日は当然のようにやって来て、またしばらくすると僕は違う別な誰かに恋をするのだろう。また僕にとっての夢、それはすなわち歌を歌うことなのだけれど、歌っているときはものすごく幸せなのだけど、別に歌を歌えなくても死にはしないし、たぶん何もかわらず毎日は過ぎて行くと思う。お金がなくなったら働けばいいのだし、タイタニックでないけれど自分の命を犠牲にしてまで大切に思えるそんな恋愛に、こんな歳にもなってと我ながら思いつつもいまだにずっと憧れていたりもする。

 僕にとって究極に大切なものって何だろう。この旅が終わる頃には答えがでるものなのか…..それとも死ぬまで探し求めるものなのか…..もしくはそんな事を考える事自体がおそろしくばかげた無意味なものなのか……

 Poom達と別れた後の激しいほどの寂しさ。きっと僕は人の優しさやぬくもりというものに飢えているのだろう。やはり人は1人では生きてはいけない。友達の何気ない1言に救われることも少なくなかったりする。しかし反面人に騙され人が嫌いになったり、人がうざったくなって1人にして欲しいときもよくある。

 これかな?と思うものをいくらか上げるのだが、すぐさまそれを否定する声が僕の中で呪文のように繰り返され、生産性のない葛藤が繰り返される。

 この日はその後もしばらく僕の中で繰り返される自問自答が、何も無い1人ぼっちの部屋で空しく響いていた。

 

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