旅日記24  タンザニア編Vol 3  「縁という名の先」

 

229日(晴)

 

 朝8時にパジェを出発するということで、早起きしようとしすぎて何故か5時前に目が覚めてしまった。もう少し寝ようとするが目を閉じても眠れない。体調は昨日よりさらに悪くなっている。

 しかたなく浜辺に出てぶらぶらと歩く。まだ少し肌寒かったので長袖に着替えようと部屋に戻った。昨夜のうちに荷物は整理しておいたのだが、何処に閉まったかわからなくなり全部ひっくり返してしまいなおす羽目になった。

 着替えて虫除けをたっぷりとかけ表に出ると犬達が出迎えてくれた。

 しばらく遊んだ後、またぷらぷらと浜辺を歩き少し遠出をしてみる。まだ夜明けまでには時間があったが、すでに少し薄明るくなっていたのでライトは必要なかった。しばらく行くと自転車にのったおじさんとすれ違う。さらに行くと少年がサッカーボールを蹴りながら浜辺で遊んでいた。

 少し歩いて疲れたので腰をおろし休む。この日は雲が多かったので昨日ほど綺麗ではなかったが、それでもしばらくすると夜が明けてきた。

 僕はなぜか急に歌が歌いたくなり、指をはじいてリズムをとりながらザンジバルの海に向かって歌い出した。こんな早朝に迷惑だったかもしれないが、幸い辺りに民家はなく他に誰もいなかったのでたぶん問題ないと思う。

 僕はそのまま海に向かって15分くらい歌い続けた。

 今回ギターはアフリカに持ってこなかった。それには理由がある。治安が悪いので荷物を減らしたい気持ちもあったが、それ以上にギターの調子があまりに悪かった。

 というのも、今回は旅の途中で壊れてもいい旅用のミニサイズの安ギターを直前に日本で購入してきたのだが、それが災いして実際途中で弦が切れて張り替えてみると、チューニングが驚異的に狂うようになってしまった。

 酷い時などは1曲引き終える頃には隣り合う弦が半音違う音で鳴ってたりする。

 タイでは楽器店も少なくまともなものが探せなかったので、次の国までお預けの状態になっていた。しかしここアフリカでは治安の問題から楽器店を探しまわるわけにもいかない。それでの苦渋の選択だった。

 でもこうしてみると楽器なんて無くたって歌えるんだなと、ザンジバルの海を見ながらぼんやりとそんなことを感じていた。

 

 朝食を済ませ沙織さんの車に乗ってタウンへ出発する。沙織さんのバンガローには他に何人かのアフリカ人が働いているのだが、いつもダルエスサラームへ行くときは社員旅行と研修を兼ねて1人お供を連れて行くとのこと。今回はアサナティという調理場担当の女の子が一緒とのこと。

 パラダイスは大丈夫ですか?と聞くと、ハジさんという番頭さんがしっかりしているから大丈夫とのこと。確かに彼はいい人でアフリカ人らしからぬ?しっかりものという印象を受けており、この頃にはすっかり僕も仲良くさせてもらっていた。

 行き来た道をガタガタと揺られてタウンに向かう。沙織さんの車はずいぶんとオンボロでタウンに行ったらこのまましばらく修理に出すとのこと。1回エンストしたがどうにか走って沙織さんの友人が勤めるオフィスまで辿り着いた。

 ここでお友達のアメリカ人からさらにその友人のミュージシャンのアドレスと紹介状を書いてもらい受け取る。その人にお礼を言って別れ駐車場に戻ってきたところでハプニングは起きた。

 車のエンジンがかからない。キーを回してもスターター音が聞こえないところから、おそらくバッテリー系の問題かもしれないと推測する。

 ここのオフィスは郊外にありさすがにタウンまで歩くわけにも行かない。ただ修理工場はそれ程遠くないとのことで、アサナティに車を見ていてもらい沙織さんと2人で修理工場を目指す。この旅はじめてのヒッチハイクだ。

 10分程でなんとか車もつかまり修理工場に着くと沙織さんがスワヒリ語でアフリカン達に何か聞いている。あっちだと言われてその方向に歩いて行き奥まった部屋に入ると、日本語でああこんにちはという声がした。

 声の主はサトシさん。青年海外協力隊で2年前からザンジバルに来て車の修理工場で働いている。事情を話しサトシさんにバイクで現場に向かってもらい、僕達も最寄のローカルバス乗り場まで歩いて行きダラダラというピックアップに乗って後を追う。

 駐車場に着くとすでにサトシさんが待っていてくれた。沙織さんから鍵を受け取って車のチェックを始める。一緒に車を後ろから押してエンジンがかからないか試したり、他の車のバッテリーを借りてきて試したがウンともスンとも言わない。さらに調べる事約1時間、どうやら配線系統が焼き切れてしまっておりしかもそれが継ぎはぎだらけで、何が何やらわからないのでこのまま工場まで引っ張って帰るとのこと。

 バッテリーを貸してくれた車の人に頼んで、車と車をロープで繋ぎ修理工場へ向かう。しかしロープが古かった為か途中で切れてしまった。サトシさんと運転手で一旦工場に向かい他のロープを持ってくるとのこと。

 沙織さんの車を軽くする為その車に荷物も載せてあったので、アサナティにもそのまま乗っていってもらう。僕と沙織さんは降りて待つことに。

 ふと横を見ると椰子の実を削ったジュースが売っていた。沙織さんと2人で飲む。青臭くてあまり美味しいものではなかったが、炎天下の中長い間外にいたのでそれでも十分生き返った気がした。

 飲み終えると売り子がナイフで中の実をほじってくれそれを食べる。やはりあまり美味くは無い。

 当然ながらこの時点ですでに宇都宮君との約束の時間は過ぎていたが、しかし公衆電話すらないここでは連絡の取りようも無い。しばらく待っているとサトシさん達がチェーンを持って帰ってきた。この鉄のチェーンをつないで車を修理工場へと運ぶ。

 工場にやっと辿り着いてサトシさんに車をお願いし、僕達はタウンへと向かう。引っ張ってくれた車の運転手がそのまま乗せていってくれるというのでご好意に甘えることに。アフリカンはいい加減だしなんとなく恐いイメージがあるが、いい人はとてもフレンドリーだ。

 沙織さんはタウンの協会の近くにアパートを借りており、そこでパスポートとお金を取ってくるというのでその近くで降ろしてもらう。僕とアサナティはロビーで待つ。

 ここには管理人さんが常駐していて、優しそうな目をした彼は僕達に果物を出してくれた。何と言う名前のものかわからなかったがなかなか美味かった。

 

 その後歩いて宇都宮君との待ち合わせの場所に向かうが当然ながらその姿は無い。やはり3時間も遅れて来れば僕でさえ待っていないだろう。

 近くに電話があったので、そこからダルエスサラームの旅行代理店にも電話をした。すでに約束の時間だったのでトラブルで遅れることを伝える為だ。

 僕は今回アフリカには殆ど現金を持ってきていないので、チケットをカードで発券してもらうことになっていた。すると5時までに来ないと間に合わないとのこと。まだ2時半だったが次の船を調べると4時だった。それからダルエスに着くと6時になってしまう。

 明日の朝のフライトを逃すと次は4日後までフライトが無いとのこと。帰りの便を考えると事実上不可能だった。

 元々ジンバブエには行かないつもりだったが、沙織さんと会ってからとんとん拍子で話が進み、いつのまにか行くことになった。目の前に道が出来るのはこれも何かの縁かなと思い行くことに決めたのだが、道が閉ざされ行けなくなるそれもまた縁だと思う。仕方が無い。

 代理店の人にお詫びを言ってキャンセルする。沙織さんに事情を話すととりあえずお腹が空いたのでご飯にしましょうということになった。店に入りザンジバルフードを食べながらこの後どうするか考える。

 本当ならパジェのビーチでゆっくりとするつもりだったのだが、せっかくここまで来たのだしこれもまた何かの縁と、沙織さん達とダルエスにご一緒させていただくことにする。

 時間になったので船のチケット売り場へと向かうとものすごい数の客引きにつかまった。この人達は勝手にしゃべってお金を請求したり、ドサクサに紛れてスリがいたりするから気をつけるように言われる。

 死にそうな思いをしながらなんとかチケットを買って3人で船に乗り込んだ。この船は高速艇なので1時間半位でダルエスに着くとのこと。少し揺れたが眠っていたので殆ど気にならなかった。

 

 ダルエスサラームに着くとすでに6時近くになっていた。日も暮れてきており周りの雰囲気もやばくなりつつある。またここでもものすごい数の客引きをくぐり抜けて港を出た。気持ち的にはタクシーに乗りたかったが、それ程遠くないから歩きましょうという沙織さんの言葉でそのまま歩いてホテルに向かう。

 15分ほど歩いてホテルにチェックインする。沙織さんの知り合いのホテルとかで僕は一番安いシングルを現地人値段で30US$にしてもらった。古いホテルだがしっかりとした建物で部屋も割と綺麗。けして僕には安くなかったがこれなら悪く無い。

 シャワーを浴びた後ご一緒にホテルのオープンバーで夕食を取ることにする。しかし僕は体調が優れなかったので飲み物と料理を少しつまんだだけで遠慮させてもらった。熱は無いが体調が悪い事を話すとマラリアは熱が出ないこともあるので、明日近くの病院で検査してみるといいといわれ紹介してもらうことにする。

 頼めばチェックの針も新品をつかってくれるというので一応安心する。

 部屋に戻り今晩宇都宮君と一緒に泊まる予定にしていた安宿に連絡をするがつながらない。しかたなくあきらめる。

 彼には悪いことをしたと少しブルーになるが、ここはアフリカしかたがない。彼も旅馴れた人だ、きっとわかってくれるだろう。

 

 

 

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