旅日記27  タイ編 Vol 9  「タイマッサージ門」

 

35日〜13

 

 アフリカから帰国してしばらくは溜まった疲れを癒す為、洗濯をするぐらいでぶらぶらと何も無い日々を過ごしていた。月曜日にフロリダへ例のトラベラーズチェックの回答を得る為電話すると、その答えは「再発行をする方向で検討しておりましたが、調べてみたらすでにトラベラーズチェックが換金されていることが判明しました」という驚くべきものだった。というのも韓国で盗難にあったのが夜だった為、その日のうちに換金するのは不可能なのであえてその夜のうちに緊急連絡先に電話しTCの停止をかけてもらった経由がある。その為望んでもいないフロリダとこのような長い対応をする羽目になったのだがシンガポールで確認の電話をした際に、トラベラーズチェックの停止は無事に間に合いましたという回答を僕はすでにもらっていたのである。にもかかわらず今頃になって現金化されてしまっているとはどういう事かと問いただすと、こちらもそれがわからないので今調べているところだと言う。

 もう1ヶ月以上待たされているのにいったい何時まで待てばいいのかと聞くと、わからない、とりあえず2週間後にまた電話してみてくれという回答だった。

 しかたなくそうする旨を伝えると、向こうは深いため息をついて電話を切る。もう怒りを通り越してあきれ果ててしまった。

 

 ただそんな日々の中でも何かやってみようとあれこれ考えてはいた。その1つにアフリカに旅立つ前に、もし機会があったらタイマッサージを習ってみたいと考えており、とりあえずどんなものか1度やってもらおうと、盲目の人達が経営しているというマッサージへエカマイまで行ってみることにする。

 タイは少し歩けばあちこちにマッサージがあったが、ここは以前同じゲストハウスに泊まっていた人に、すごく丁寧で一生懸命だから行くならそこへと勧められていたのである。

 

 僕は子供の頃に自宅の階段から落ちた後遺症で、慢性的な鞭打ち性になったことがあり子供の頃から中国整体にはよく通っていた。

 いくつか治療院を変えて自分に逢った腕の良い所を見つけ、そこの整体師と仲良くなって何年も手ほどきをうけてきていたので、マッサージや整体については通常の人よりは幾らか予備知識があるつもりでいる。

 とりあえず自分にも習得が可能だと思い、翌日ワットポーに出向きマッサージスクールへ入門を申し込んだ。日本語が幾らかできる講師もいるというので、その人をお願いする。

 料金はタイ人が3000バーツなのに比べて、外国人は30時間6000バーツと割高だったが、ひょっとしてトラベラーズチェックが再発行されなかった場合、途中で資金難なることは容易に想像できたので、食いぶちになりそうなものはできるだけ多い方が良いとも思い決断した。

 9日から13時間づつ10日間で申し込む。

 

 翌朝昼前にワットポーに行くと、しばらく待たされた後スクールは別の場所なのでとさらに少し離れたターチャンという船着場まで受け付けのお姉さんが、おそらく今日から入門するであろうタイ人34人と一緒に案内してくれた。

 

そこからボートに乗り対岸にある船着場からすぐ近くのマッサージスクールに移動する。

 中に入ると12個程のベットと黄色いマッサージスクールのポロシャツを着た講師が10人位、そしてタイ人を中心とする生徒がそれぞれ21組のペアになってお互いをマッサージしていた。

 僕はそのうちタイ人3人と白人2人を教えている講師を紹介される。

 

 前日にタイ語、英語、日本語の3カ国語で書かれた教本を貰っていたので、それを取り出そうとすると、講師に「本は使わない、家で見る」と言われてしまわされた。

 

 この日はタイ人とペアを組み足のマッサージと腕のマッサージを中心に教わる。

 途中覚える為にメモを取ろうとするが、「体で覚える」とそれもしまわされてしまった。内心ムッとしたが、とりあえず様子を見てみようと言われた通り体で覚えることにする。

 1回自分がペアの相手にマッサージをすると、交代して今度は自分が練習台になる。それでもペアの相手がもう何日かやっている人で筋がよかったので気持ち良かった。

 この日は結局夕方5時まで約4時間講習を受けゲストハウスに戻る。

 不安だったので部屋で本を開くと、教わったことと本とが順番が違っていたり内容が少し違ったりしていた。今日1日を振り返るようにそこに教わった内容をメモする。

 復習を終え疲れていたので早めに就寝を取り、翌朝また市バスと船に乗って9時前にマッサージスクールに着く。本来なら午後から13時間のはずだったが、昨日講師に明日の予定はと聞かれ何も無いことを話すと朝からくるようにと言われていたのだった。

 

 昨日の復習というので昨夜復習した内容をそのままなぞる様にマッサージすると「おっ!できているねえ」と誉められる。少し有頂天になるがこれがかえっていけなかった。次の言葉に愕然とする。「うん、じゃあ今日は次に進もう」そういって昨日のあお向けの足と腕のマッサージに続き、体を横にしたマッサージを教えられる。

 1回教わった後、昨日のタイ人がそれをなぞるように自分にマッサージをしてくれる。1人の講師に生徒が3組のペアで進行状況もそれぞれなので、講師は1回教えた後は時々覗きこんで訂正する位でつきっきりでは教えてくれない。

 しかしペアのタイ人が代わりに親切に教えてくれたので、この日も夕方まで8時間無事に終了することができた。

 

 ゲストハウスに戻った後、再度教本で復習する。これも結構内容や順番が違っていたので、メモを書きこんで頭の中で再シュミレーションして就寝。

 

 翌日は一緒にペアを組んでいたタイ人が今日で卒業とのこと。代わってペアを組まされたのがオーストラリア人のジュリーさん。

 名前はかわいいのだが、実物は体重が100キロはゆうにあるだろうというおじさん。

 こちらがマッサージしている時も脂肪が分厚くかなりやりにくい。それだけならまだしも今度はこちらが練習台になるときは力任せに押してくる。

 アジア人と違って「ツボ」の概念が無いのか、押す場所がまったく検討違いなところなのでこれが非常に痛い。

 講師が頻繁に訂正し、自分もソフト、ソフトプリーズ!と連発してどうにか1日を終えたが限りなく拷問に近いものがあった。

 この日も先日復習した甲斐あってか、どんどん先に進んで新しくうつ伏せ寝のマッサージを教わる。

 

 宿に戻って荷物を置いた後、この日は前回一緒にウィークエンドマーケットに行ったタマサート大の学生、POOMとサヤームのマクドナルドで待ち合わせをしていたのでそこに行くとまた別の友達2人を連れて待っていた。

 アフリカの心ばかりのお土産と先日一緒に取った写真ができていたので渡すと、来週チェンマイに行くが一緒に行かないかと誘われる。

 友達と一緒だから大丈夫とのことだったが、本当に僕などが行っても良いのか何度も尋ねるがOKというのでつい行くことにしてしまった。

 まだそれ程親しくなく、しかも相手は国籍も違う女の子ばかりのグループに僕がのこのこついて行って良いものかかなり悩んだが、タイ北部の山岳地帯にまだ行ったことがなかったのと、タイの学生と旅ができるチャンスなどそうは無いと思ったので滞在期間を延長し北部に行くことを決心する。

 この日も宿で1日の復習をし就寝。

 

 翌日もジュリーさんとパートナーを組まされる。午前中先日までの復習をした後、午後から習得すべき残りのマッサージを1回だけ教わる。

 残りと言っても膨大な量で、しかも教本にのっていないものが殆どである。ジュリーさんはまだ2日目で他のタイ人の生徒ももういない。

 隣のベットでいちゃついている白人カップルが1組いたが、彼達は何やらオイルマッサージをやっていた。

 ジュリーさんの地獄のような練習台を終えた後、今度は僕の番になる。ここで事件は起きた。

 僕がやる番になって講師が1人でやってみろと言う。さっき1度流れだけ説明されただけなのでもう1回教えてくださいと言うと、「さっき1回教えただろう、君ならできる」と怒られてしまった。

 疲労が溜まっていたのもある、この数日の講師のやり方にも不満があった。でも何とか限られた状況の中で頑張ろうと、毎日帰ってから2時間かかさず復習し、連日朝6時に起き7時半のバスにのって朝8時半から夕方5時近くまで黙々と言われるがままこなしてきた。しかしこれにはさすがの僕もキレて、つい「もう1回ちゃんと教えてください」と大声で叫んでしまった。

 講師も少し戸惑った様子で何やら英語で話してくる。いつもは日本語7割、英語3割くらいの割合で教わっていたのだが、この時は頭に血かのぼっていたので全然理解できず「日本語で教えてください!英語じゃわからない!」と怒鳴ってしまう。

 すると講師は隣でいちゃついていたカップルに何やら話して、同じことをやるから覚えるようにと言って、カップル達を練習台にして丁寧にもう1度教えてくれた。

 僕もそれを横でみながらジュリーさんを練習台にしてなぞる様に繰り返す。

 

 一通り終えた後、今度は僕が練習台になってジュリーさんが足をマッサージしている。この頃には幾分うまくなって、絶叫しなくても済むほどにはなっていたが、それでもツボはよく外れていた。30時間でこの人は果たしてマスターできるのだろうかとこのシステムに疑問を感じながらも、忘れる前にと勝手にノートを取りだし練習台になりながら今教わった事のメモを取りつづけた。

 ジュリーさんが一通り終わりまだ少し早かったが今日はお仕舞いというので挨拶をして返ろうとすると、講師が「ごめんね。私は英語も日本語も少しだけ、あまり上手に説明できない」と申し訳なさそうに謝ってきた。

 僕も怒鳴って悪かったなと思い、いえこちらこそすみません、明日もまたお願いしますと笑顔で言って帰路につく。

  

 この日は教わった量も多く、2回教わったがそれを確かめる間もなかったのでいつもより多めに復習する。

 1回で覚えられないと言ってもう1回やらせた手前、明日もう1回とは言えない状況だったからだ。

 

 翌朝も早めに起き何度も昨日取ったメモを片手に頭の中でシュミレーションを繰り返す。

 いつものように8時半にスクールにつくと昨日の復習と言われたのでやってみせる。なんとか間違えずに出来きたので、「覚えているね」と講師が笑顔で話しかけてくる。また午前中同じ事を繰り返した後、午後1番で私にやってみてくださいとも言われた。

 

 ジュリーさんは相変わらずなかなか覚えられないようだったが、それでも毎日頑張っているのか目に見えて上達していた。

 しかしやはり他の人よりは少し遅れていており、またアジア人と違って白人達は技術習得というよりは、イベント的な感覚で楽しんでやっており、それが気にさわるのか講師もすっかり呆れて見放された状態だった。

 可哀相に思ったのとこの人が上手くならないと自分が痛いのでと、代わりに僕が出来るだけ親切に教えてあげていた。自分も初日、2日目と先に入門していたタイ人に同じように親切にされていたのでそうすることがむしろ当然だとも思っていたからだ。

 それがこの人なかでは友情と感じたのか、当初僕のことをKATOと呼んでいたのが、この頃にはハイ!マイフレンド!に僕の名称は変わっていた。

 100キロを越す大柄のおじさんにフレンドと呼ばれるのは少し照れくさかった。

 

 午後から言われた通り1人通りやってみせる。すると講師は「うん、君は筋が良いし頭もいい。もう教えることが無いので卒業!」と言われてしまう。

 中国式だが多少は心得があったのと、毎日復習していたので他の人よりは覚えがいいのかもしれないが、まさか10日が半分の5日になるとは思っていなかった。ただ16時間以上は通っていたので、そろそろ30時間を越すこともあって、今日か明日ひょっとしたら卒業かもしれないと薄々は感じていたのだが、実際卒業になると嬉しさよりもあっけなさの方が僕の気持ちの中で閉める割合は大きかった。

 

 ワットポーでライセンスを発行してもらった後、ゲストハウス近くのマーブルコーンというデパートのコピーサービスで、縮小コピーとラミネートコーティングをしてもらい携帯用のライセンスカードを作る。これで80バーツ、約240円くらい。

 自分の部屋に戻りライセンスをサカナにビールを1本空けた。1人だけの卒業式。

 とりあえずこれで明日から毎日早起きしなくていいのと、復習地獄から開放され久々に枕を高くして眠ることができる。

 明日は1日ゆっくり寝ていよう。

 

 

 

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