旅日記30  シンガポール編 Vol 3
「新大陸へけて」

 

330日(曇のち雨)〜31日(曇)

 

  朝起きると僕はブギスにあるアメリカン航空のオフィスへと向かった。

 僕の持っている航空券では、次はオーストラリアのパースになっていたが、さらに次の便を列車でオーストラリア大陸を横断する為あえてオープンジョーの形を取りシドニー発にしてあった。

 しかし先日トラベラーズチェックが再発行されないことになってしまい、片道3万円を越える列車のチケットを買ってしまうと今後に支障をきたす可能性が大きかったので、経費を押さえる為、次のフライトをシドニー行きに変更しようと思ったのだ。

 また大陸横断は、この後北米とユーラシアを計画していることもあり、特にどうしても行きたい場所でなければ、現状を考えると仕方がない。

 

 アメリカン航空の女性は非常に迅速に対応してくれ、また親切だった。

 他にも変更したい場所があったので変更してもらう。やはり日本で世界地図を眺めながら決めたコースと実際に旅に出て体感した後では、行きたい場所やコース取りに変化がでてきていたのだ。

 手数料として日本円にして8000円弱必要だったが、今回のルート変更で節約できた費用は従来予定していたものより10万円近く安くあがる為、いたしかたない出費だと割り切る。

 この後ブギスのパルコなどをうろついて宿に戻った。

 

 宿に戻ってから先日バンコクで購入したギターを弾いてみる。やはり旅用のミニサイズのギターと違い、「普通の」サイズのギターは弾きやすい。もっとも比較するような話でも無いのだが。ただ購入した値段から考えるとこのギターは上々だった。

 

 しばらく弾いた後、さてこれからストリートへ出かけようかという頃、激しく雨が降ってきた。

 やむかもしれないと思いしばらく待ったが、予想に反して雨は夜まで降り続いた。煮えきらぬ気持ちのまま眠りにつく。

 

 翌朝目を覚ますと雨はやんでいた。

 相変わらず空はどんより曇っていたが、それでも時折雲の間から太陽が顔を覗かせることもあった。

 前回シンガポールに来たときはトラブルの対応のためろくに歩いていなかったので、少しは観光客のいくようなところへ行こうと、マーライオンパークへと繰り出す。

 

 地下鉄のラッフルズプレイス駅から徒歩5分ぐらいのところにそれはあった。しかし期待に反してそこに辿り着いた感想は、本当にこれがそうなのかと思うような代物だった。

 人魚(マーメイド)の体にライオンの顔、それでマーライオンなのだと思うが、なぜこのような形をしているのかというエピソードも知らなければ、実物がどんな形をしているのかという予備知識も無いまま行ってしまったせいもある。

 ただ僕の友人がシンガポールといえばマーライオンと言うぐらい有名なものらしいのでさぞかし立派なものなのかと期待していたのだが、僕にとっては「サザエボン」の親戚といった印象だった。

 

 その後ラッフルズプレイスの近くのチャイナスクエアで昼食を取る。ここは前回シンガポールへ来たときの数少ないお気に入りの場所の1つだ。ここで別府地獄ラーメンという店に入った。

 何もわざわざ日本の店に入らなくてもと思うのだが、前回来たときから気になっており、また先日チャイナタウンで食べた中華麺がものすごくまずかったので、どうしてもまっとうな麺類を欲していたのだった。

 というのも僕は東京に住んでいるときは、週に多いときで3日はラーメン屋を食べ歩くラーメン好きであり、タイにいたときはセンミーというタイヌードルにやみつきなりまたこれが120バーツ、約60円前後ということもあって、最低でも2日に1度は食べていたのだ。

 この地獄ラーメンの名物は、名前の通り真っ赤にそまった激辛スープでせっかくだからと竜巻地獄という名前のキムチラーメンを頼んだ。

 辛さが指定できるということだったが、とりあえず様子見で一番辛くないのを頼む。それでも結構辛い。

 当地では有名な店らしく、シンガポールの雑誌に紹介された記事や、有名人らしき人のサインらが店のあちこちで見かけたが、味はまずまずといったところ。それよりも店員のユニフォームであるエプロンの「毎日が地獄です」と書かれた鬼の笑顔、そのキャッチフレーズの方が僕には大ヒットだった。

 

 その後オーチャードにあるカンタスオーストラリア航空のオフィスを尋ねフライトの予約を入れる。

 高島屋に寄ってしばらく紀伊国屋書店で立ち読みをした後ホテルに戻った。

 

 どうもシンガポールにはこれといった場所が見つからない。行きたい場所も特になく時間を持て余してしまう。

 沢木耕太郎が深夜特急でマレー半島がつまらなく感じたのは、エキサイティングだった香港をそこに重ねていたせいだという内容の1節があったが、僕の場合それはタイだったような気がする。

 タイではそこに住む人達の気質から色々な葛藤が多かったが、やはり離れてみるとむしょうにタイが懐かしく、何をするにもタイと比較してしまう。

 やはり僕はタイが好きだったのだなとここに来てあらためて気付かされた。

 

 一旦宿にギターを取りに戻る。今日はなんとか天気がもちそうだったので、ストリートライブに繰り出すことにした。気持ちが靄ついたときには歌うに限る。

 しかしやろうにもここぞという場所が見つからない。

 とりあえずあてもなく地下鉄にのったのだが、ついた場所はマーライオン公園だった。散々バカにしておきながらその程度の発想しか出ない自分が情けない。

 

 しかし時間がすでに4時半を回っており、また風が強かった為人がいない。もともと小さな公園なのだが、いたのはおじいさんとおばあさんの2人だけ。

 それでも歌っていればそのうちだれかがくるだろうと歌いはじめたのだが、1時間以上たっても殆ど人は訪れなかった。

 

 日も暮れかかっており人もいない公園で歌い続ける自分。まだ売上はゼロ。

 今日の夕食はストリートライブの売上をあてにしていたので、このままでは夕食抜きになってしまう。

 しかたく場所を変えようとラッフルズプレイスまで戻ってきたが、ここもオフィス街なので客の年齢層が高い。

 オーチャードは少し気取った感じで若者が少ない為、他に人が集まりそうなところといえば僕はブギスしか知らない。とりあえずそこまで地下鉄で移動する。

 ここにはパルコがありシンガポールの若者をよく見かけた。しかし少しぶらつくが歌えるような場所がなかなか無く、結局ブギス駅のすぐ前で腰を下ろすことにした。

 幸い人通りもあったので歌いはじめる。10分を過ぎた頃だろうか、ちらほらとお金が入リ始めた。僕も気合を入れて歌い続ける。

 歌いはじめて15分を過ぎた頃、ギターの1弦が切れた。しかし換えの弦の持ち合わせが無くそのまま続ける。この頃には観客もそれなりに集まっていた為ここで止めるわけにはいかなかった。

 しかし次の曲が終わる頃制服を着た男が近寄ってきて注意された。早口で何を言っているのか良くわからなかったが、とにかくここで歌ってはいけないといった意味のようだ。

 わかったからと曲の途中の、しかも1番盛りあがるところで止めさせられたことに憤りを感じながら歌うのを一旦止める。それを見届けて制服男は去っていった。

 するとすぐ近くで聴いていたシンガポールの青年が、どうして止めてしまうのだと聞いてきた。

 もっと歌ってくれと言われたが、さっきの彼がここで歌うなと言うんだと事情を説明すると、青年は「平気さ、彼はセキュリティーであってポリスでは無い」といった意味のような事を話している。

 自分の歌を聞きたいという申し出が嬉しかったので、じゃあもう1曲だけと歌いはじめた。しかし1コーラスが終わる頃、先程のガードマンがまたやってきて激しい口調でやめるように言われた。

 就労ビザがあるのか?と聞かれたので無いと答えると、ここで演奏して金を稼ぐのは違法行為だ、やめないなら警察を呼ぶと言われてしまった。

 シンガポールは世界でも有数の法律の厳しい国だが、こんなガードマンにまで徹底されているのだろうか。

 これ以上続けると厄介なことになりそうだったので、わかったと言ってその場を立ち去った。集まったお金を数えてみると5.5シンガポールドル、日本円で約350円。なんとかぎりぎり夕飯が食べられそうだ。

 弦の1つ足りないギターを抱えてホテルまで戻ってくる。部屋に荷物を置いた後チャイナタウンで牛肉の生姜焼きを食べる。それ程美味いものでもなかったが、これで5$、約320円。もう1ドルあればコーラが飲めたのにとガードマンがもう少し遅くきてくれればなどと虫の良いことを考える。

 

 部屋に戻ってから荷物の整理をする。明日はいよいよオーストラリアに向かう日だ。

 ここは物価が高いのでおそらくホテルも個室には泊まる事ができない。ユースホステルのドミトリー(部屋ではなく大部屋のベット1つだけを借りて泊まる形式)でも日本円で10002000円はかかる。シングルなら安いところでも3000円はするだろう。

 いままでセキュリティーの事からドミトリーは敬遠してきたのだが、現在の財政を考えるとホテルに泊まるわけにはいかない。今のスタイルを続けていれば間違いなく旅の途中で資金が無くなるからと覚悟を決める。

 まだ見ぬ新大陸にはいったい何が待っているのだろうか。

 

 

 

[Diary Top]