旅日記41  アメリカ(USA)編vol.4
「トラブル?ボストン」

 5月14日〜17日

 朝4時に目覚ましが鳴り、空港行きのバスに乗る。寝ぼけながらも朝7時の飛行機でボストンへ向かった。 途中ダラスでトランジットが1時間程あったが、現地時間の夕方5時半、時差が西海岸と3時間あるので約7時間強の移動で、ボストンへと到着した。

 空港のターンテーブル前で荷物がでてくるのを待つが、ギターとキャスターはでてきたものの、肝心のメインバックがでてこない。おかしい。

 6時ごろになって友人の和泉さんが、空港へ迎えにきてくれた。彼はボストン在住のコンピュータエンジニアで、今晩はそちらにお世話になっていたのだった。

 30分以上待ったが、さすがにこれは何かトラブルだとアメリカンエアラインのバケッジカウンターに行って状況を説明する。

 おそらく間違って違う空港へ行っている可能性があるので、調べるから明日電話してくれとレシートと電話番号をもらって、和泉さんの自宅へととりあえず移動した。

 この日は和泉さんに韓国焼肉をごちそうになる。また自宅で黒ビールを酵母から造っているらしく、それをご馳走になった。

 少し飲みごろが過ぎていると言っていたが、なかなかどうして、ちゃんとした黒ビールである。少し甘くて飲みやすかった。

 翌朝、ケンブリッジ市にある職場まで和泉さんの車で移動し、僕は町をぶらつくことにした。夕方待ち合わせの時間だけ決める。

 とりあえず行きたいところといっても、たいして思い浮かばなかったが、近くにかの有名なハーバート大学と、MITがあるらしいので、そこの構内でぶらつく。

 ハーバートでトイレを探していて、なんだか知らないうちに学生会館のようなところにでてきてしまう。ここに学生がフリーで使えるiMacが5〜6台あったので、これを拝借して友人にメールした。もちろん日本語フォントは使えなかったが。

 午後からボストン美術館を訪れるが、月曜日は休みとのこと。しかたなくTと呼ばれる地下鉄にのって和泉さんから借りたガイドブックを見ていると、日本人街のようなものがあるらしく、そこへ行ってみることにした。

 しかし日本の本屋や、料理屋が数件あっただけで得に見るべきものはない。日本語のフリーペーパーがあったので、見てみると、求人の欄や、ルームメイト募集があったのでチェックする。

 もし良い仕事があって、またいい部屋があれば、ここで1月程滞在してバイトしようかと考えていたが、どうもぱっとしたものがない。

 しかも物価は東京以上に高く、普通に部屋を借りると十数万円、またシェアでも平均相場、月額5万円前後といったところだった。これではここで長期滞在するわけにはいかない。

   夜になって和泉さんの自宅に戻ると、アメリカン航空から留守電がはいっていたので電話すると、バック見つかったとのこと。今晩届けてくれるというので待つが結局届かなかった。

   翌朝7時過ぎに電話がなる。対応に出た和泉さんの話しでは、これからバックを持ってくるとのこと。8時半前に持ってくるといっていたが、40分過ぎてもこない。もう一度電話すると、もう出たからもう少しだけ待てとのこと。

 和泉さんには会社にいってもらい、部屋で待つことにする。が、結局届いたのは昼前の11時過ぎだった。やはりアメリカもいいかげんだ。

 荷物を点検しようとするが、バックにくくりつけてあった寝袋が、どこかへちぎれて行ってしまったようだ。どんな扱いをしたのだろうか。

 とりあえず荷物を運んできたドライバーにそのことを告げると、アメリカン航空にクレームを入れてくれと言われる。

 他にも何かトラブルはないか調べるが、恐れていたことが現実になった。コンピュータが起動しないのだ。

 正確に言えば、起動はちゃんとしているのだが、ノートブックのモニターの、バックライトがいかれてしまったらしく、殆ど画面が真っ黒で見ることができない。

 なんとかならないかと、昔とった杵柄で対応するが、やはりハード的な問題である可能性が高いようだ。未送信の日記も溜まっており、ほとんど僕は灰になったかのように体の機能が停止してしまった。

 そこへ和泉さんが昼休みを利用して戻ってきてくれた。

 事情をきいて、冷静な和泉さんは、まずアメリカンに出向いて手続きをすること。そしてコンピュータのバックアップと修理方法の検討をしようとアドバイスしてくれた。こういう時こそ冷静に頭を働かせて、きちんと対応しなくてはいけない。落ち込んでいる暇は無いのだ。

 コンピュータのバックアップは、大事なもののディレクトリはすべて覚えており、うっすら画面が明かりに照らすと見えたので、和泉さんのPCMカードを借りて何とか大切なものだけはバックアップすることができた。また僕のVAIOは今年一杯保証期限内だったはずなので、とりあえず帰国後修理に出すことにする。

 スリーピングバックとコンピュータの破損の保証をしてもらえないか、空港のアメリカン航空に出向き、聞いてみることにした。

 するとまずコンピュータは、アメリカ国内線は保証枠がなく、その場合は別途有料の保険をかけない限りこちらの責任になってしまうとのこと。スリーピングバックも、外に縛りつけたこちらが悪いと言われたが、チェックインの際、これでいいかと職員に尋ねたらOKと言われたし、紛失はそちらの責任ではないのかというと、検討すると言って奥へと入っていった。

 マネージャーと話しあった結果、寝袋は弁償するとのこと。買ったときのレシートを出せといわれたが、そんなものはとうにないので、無いというと幾らだったかと聞いてきた。

 本当は、タイで数百円で買ったものだったが、そのまま答えるのも悔しかったので、たしか日本では1万円くらいかと思い、100ドルというとそれは高いと文句を言われる。

 ではどうしろというのかと詰め寄ると、じゃあボストンの店で寝袋が幾らするか調べてこいといわれた。FAX番号と担当者の名前を聞いてこの日はとりあえず帰る。

 和泉さんに今日の出来事を話す。

 アメリカでは、自分達で決めたルールや役割分担を守るよう徹底されており、そのルールに少しでもはずれるとぜったい対応してくれないとのこと。しかしルールをきちんと押さえていれば、おそらく保証されると話してくれた。

 僕はアメリカの、よく勝手に決められ事前説明の無いルールのおかげて、この旅に出て以来かなり振りまわされ、不愉快な思いもしてきたが、今回の寝袋の場合はそのルールにのっとったおかげで、どうやら保証されそうだ。

 さらに翌日、ネットで検索したアウトドア用品店を尋ねるが、つぶれたのかはわからないが、住所と建物はあるものの、中はもぬけのからだった。とりあえず町の中心街までもどってきて探しまわるが手がかり無し。よわった。

 とりあえず昼時だったので、食事をしながら和泉さんに借りたガイドブックをめくる。するとバックベイのショッピングモールにアウトドア用品の文字。とりあえず行ってみることにする。  1時間くらいかけてやっと店を探しだし、入ってみると、アウトドアはアウトドアでもファッションの方だった。一応寝袋がないか聞くが無いとのこと。

 駄目元で売っている店を聞くと、ボストンには2件しかないが一応あるという。店をしっているのかと再度尋ねると、もちろんという答えが返ってきた。

 それまで何度となく同じ質問をしてきたが、知っているという答えは初めてだった。またその店員のお姉さんはとても親切で、そこの店名、住所、電話番号と、行き方まで書いてくれた。  そのメモにかかれた通り、地下鉄「T」のグリーン、Bラインに乗って郊外へさらに30分程移動する。すると言われたとおり、その店には寝袋が置いてあった。

 100$を越すものも少なくなかったが、とりあえず売れ筋はどれか聞くと、65$のバーゲン品のやつだと言う。その店員にカタログと、彼自身の名前を聞いて店を後にする。

 途中でグレイハウンドに寄って、ナイアガラフォールズ行きのバスを訪ねると片道57$という。往復で100を少し超えるくらい、まあ悪くないだろうととりあえず片道のみ購入する。

 その足で空港へ行き、アメリカン航空のカウンターへ行くと、最初対応にでた職員はきちんととりあわず、昨日そちらが保証すると言ったんだといっても、それはできないなどとほざいていたが、昨日の担当者が、少しして出てきたので、変わってもらうと迅速に事が運んだ。

 支払はチェックとのことだったが、これはアメリカ国内でしか換金できず、しかも5日後だと言う。その間また動けないのは困るので、なんとか今日もらえないか頼むが、コンピュータ処理が必要で、どうしても5日後だと言われた。

 和泉さんが、ご好意で私が立て替えるので、もし可能であれば、和泉さん名義でボストンの住所に送ってもらってくださいと言っていたのを思い出し、可能かどうかたずねるとそれならOKとのこと。

 もし届かなかった場合の、連絡先と、処理方法、担当者の名前を聞いて空港を後にする  その後現像に出していた写真を受け取るが、ショックなことがまた1つ。クライストチャーチで買った安物のカメラの調子が悪く、ラスベガス〜グランドキャニオン間がすべて真っ黒だった。悪いことは続くようだ。

 ナイアガラフォールズに、明日の夜発にしたため、ボストンも今晩が最後の夜になる。和泉さんの自宅で、お別れ会?とビールを1本買って飲んだ。

 彼には泊めてもらっただけでなく、毎日手料理を食べさせてくれ、しかもトラブルにもつき合わせてしまった。何かお礼ができないかと思い、マッサージをすることにする。

 歌を歌おうかと思ったが、夜にやっては近所迷惑で、逆効果かもしれないとマッサージにしたのだが喜んでくれたようだ。

 ボストンはトラベルならぬ、トラブルの連続で、ひたすら対応に追われたが、起こるものは起こる。しかたがない。

 とりあえずこの後は、まずナイアガラフォールズに行き、カナダに行くかどうか決めることにした。 運命は天のみぞ知る?といったところだろうか。

 

 

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