旅日記44  アメリカ(USA編)vol.5
「This is NewYork?前編」

5月26日〜31日

 朝10時トロント発の列車に乗ってニューヨークへと向かう。途中ナイアガラの国境で、関係者がパスポートチェックにやってきた他は、何事もなく時間と共に車窓の風景だけが流れていった。予定では、夜9時代にニューヨーク着だったが、かなり列車は遅れ、結局マンハッタンのペンステーションに到着したのは夜の11時半だった。トロントで会ったカズ君が、この日の朝マンハッタンに着くというので、宿代シェアでホステルのツインルームを予約してもらうことになっている。とりあえず約束の時間にかなり遅れてしまったので、小走りに重い荷物を引きずるようにして宿へと向かった。

 しかしレセプションへ行くと、そんな人間は泊まっていないという。すぐ脇にメッセージボードがあったので見てみると、宿が取れなかったのでユースホステルに行きますと、カズからのメッセージがあった。彼を待たせずにすんだことに、とりあえずほっとするが、問題は今日の宿をどうするかだ。部屋の空きを確認するが、やはり一杯だという。しかたなく近郊の宿を片っ端からあたるが、どこも同じ返事がかえってきた。時計を見るとすでに深夜2時を回っている。万策尽きてしかたなく駅のホームへ引き返す。駅まで戻ると、列車待ちをする人の為の一角があったので、列車が遅れて宿がとれず困っている、できたらここのベンチで朝まで待たせてもらえないかと聞いてみた。すると係員は、面倒そうな顔をしながらも、さっさと入れといった仕種をする。とりあえず外で寝るよりはいくらかましだろうと、小さな椅子に座って眠りはじめる。

 どれくらいの時間が過ぎただろう。いきなり何やら声をかけられて、体が宙に浮いた。「グギッ!」という鈍い音と共に、激しい痛みが駆け抜ける。「痛てえ−!」とのたうちまわりながら目を開けると、駅の清掃員が僕に背を向けて遠ざかっていくのが見えた。どうやら掃除のじゃまだからどいてくれと、僕を立たせようとしたらしいが、寝ぼけて足をくじいてしまったらしい。痛くて声がでず、また立つこともできない。おまけに吐き気までしてきて、骨折か?と不安がよぎる。しかし僕がどんなにわめき叫ぼうが、清掃員はさっさと掃除を終えて、どこかへいってしまった。そして激しい痛みの中で、次第に意識は遠くなっていった。

 ふと目を覚ますと、まわりに人が沢山座っている。僕は床でそのまま眠っていたらしい。起き上がろうとするが、激しい痛みが駆け抜けて立つことができない。どうやら昨夜の出来事は夢ではなかったらしい。靴と靴下を縫いで足をみてみると、左足が紫色に変色して、しかも右の2倍の大きさに膨れあがっている。やばいことになった。時計を見ると早朝6時半。まだ少し早いが、とりあえず宿を確保して手当てをしなくてはと、足を引きずりながら地下鉄のホームへと向かう。痛くてうまく歩けなかったが、なんとか足首は動いている、どうやら骨折ではないみたいだ。

 地下鉄の1番に乗って、103Stのユースホステルへと向かう。今僕の知っているここでの知り合いはカズだけだったので、とりあえずそこまで行こうと思ったからだ。しかしレセプションでチェックインしようとすると、11時からだからというので、しかたなく奥の食堂で待つことにする。しばらくうとうとしていると、何やら表が騒がしいので除いてみると、すでにレセプションで今日の予約がはじまっていた。時計を見るとまだ9時半。11時からって言ったじゃないかと少し腹が立つ。しかも僕の番が来て部屋を予約しようとすると、もう一杯だから他へいけといわれる。足を怪我していて、しかも朝の7時から待っているのだがと言うが、僕を無視してその受け付けの黒人女性はNEXT!と叫んで次の客を対応している。

 しかたなく列から離れ、しばらくその様子を伺っていると、他の人達は予約なしでもまだどんどんと泊まれているじゃないか。僕が小汚いアジア人だから差別されたのだろうか。なんなんだここは!と怒りながら、カズと会うことも忘れて、僕は痛む左足をひきずりながら地下鉄の駅まで戻ってきた。とりあえず他にあてもないので、昨日泊まろうと思っていたビックアップルというホステルへ移動する。レセプションへ行くと今日はOKとのこと。また僕宛てに手紙がきていたのでそれを受け取る。あけてみるとボストンの和泉さんからだった。アメリカン航空が、先日ロストした寝袋の代金を僕名義で発行してしまい、本人しか換金できないというのでここに送ってもらったのだ。部屋に入るなりまずは一眠りすることにする。宿泊費は4人部屋のドミトリーで1泊30US$、かなり高い。

 目が覚めると昼の2時半。手持ちの現金が少なかったので、近くのシティバンクへ現金をおろしに行く。しかし手続きをしていざお金がでてくる段階になって、機械の画面がしばらくお待ちくださいになってしまい、そしてその後、時間をおいてからお試しくださいに変わってしまった。もう1度やりなおすが、機械がアウトオブオーダーになったままなので、仕方なく隣の機械でやり直す。しかし残高照会すると、まだ降ろしていないお金が、そっくり口座から消えてしまっている。何かの間違いだろうともう一度やり直すが同じ。先ほど引き出せなかった700$がそっくり口座から消えてしまっている。お金がでてきているかと、隣の機械に戻るがやはりない。すぐ横についている電話で、シティバンクセンターに連絡をとるが、僕の口座が日本なので、日本じゃないと対応できないという。日本もなにも、ここの機械がおかしいんじゃないかとクレームをつけるが、日本しかできないの一点張りで話にならない。コレクトコールで大丈夫だからというので、日本の連絡先を聞いて宿に戻って日本へと電話する。しかし今度は、カードの紛失や盗難以外はコレクトコールでは受け付けられないと言われる。アメリカでできるといわれたし、こちらはまったく悪くないじゃないかと言うが、こちらの返事も同じで、間に入っている国際電話のオペレーターが、申し訳なさそうに向こうの言い分を伝えてくる。今自分はお金がなくて自費ではかけられない。状況からいってもこちらに非があるとは思えないと延々と粘り続けるが、口座から降ろされなかったお金が消えるはずがないとほざいているらしい。僕だってそう思う。でも現実に消えてしまったんだとかなり強く言うと、では30分後にもう1度残高照会してみて、それでも駄目なら再度電話してこいというので、わかりましたと受話器を置く。

 しかし30分後も1時間後も試してみるが、やはり結果は同じ。宿に戻ってもう1度電話をすると、国際電話のオペレーターが先程と同じ人で、すぐ話をわかってくれシティバンクに電話をつないでくれた。それから事情を説明し調べてもらうと、機械の誤作動らしく、お金がでてきていないのに、支払い済みと機械が認識してしまっているようだとのこと。明日、日本時間の月曜日の午後に、僕の口座に返金してくれるというので、担当者の名前を聞いて電話を切る。

 夜になって宿に泊まっている日本の人達と話をする。その中でも同じ愛知県出身ということもあってか、同郷の飛鳥さんが僕の一連のトラブルを親身になって聞いてくれた。また足を見せてといわれたので見せると、「何これ!すごい酷いじゃない」といって、医者に行くよう進められたが、僕が今回ちょうど良い保険がなく、入れなくて医者にはお金がないから行けないと言うと、明朝包帯と湿布を買ってきてくれるという。でもシティバンクの件で、明後日にならないとお金ないんですというと、いいよそんなの後でと言ってくれ、本当に翌朝買ってきてくれた。捨てる神あれば拾う神ありである。

 手当てをすると少しだけ楽になるが、依然として状況はあまりよくない。一晩すれば良くなるかもという淡い期待を抱いていたのだが、それはもろくも崩れ去った。どうやら完治するにはしばらく時間を要しそうだ。

 とりあえずこの日は安静にしていようと、部屋で寝ていると、カズが僕の宿まで尋ねてきてくれた。一連のトラブルを前日メールで伝えてあったので、心配して様子を見に来てくれたのだ。昼に作ったカレーの残りがあったので、カズと2人で食べていると飛鳥さんが帰ってきたので薬のお礼を言う。しばらく話しているうちに、宿の皆で大富豪をやろうということになり夜遅くまで白熱する。やろうということになったといっても、言いだしっぺは僕だったのだけれど。

 翌朝はユースに行って明日以降の予約をいれる。カズにこっちに移ってきたらどうです?と言われたこともあったが、何より今の宿よりユースの方が1泊3$安いというのがあった。足が直るまで移動できないので、1泊3$でも長くなれば結構大きい。夕方シティバンクへ行くと、消えたお金がちゃんと振り込まれていた。お金を下ろして飛鳥さんに返す。またこの日は同じ宿の画家を目指しているという日本人と話をする。彼が書いた絵を見せてくれたので、何曲か自分のうたを歌って返す。

 さらに翌朝、宿をチェックアウトしてユースに移動するが、予約時に27$の部屋を2日間入れていたのにもかかわらず、27$の部屋は一杯なので30$の部屋しかない、だからあと6$払えと言う。かなりモメたが、結局6$払わされてしまった。まったくここはどうしていつもこうなのだろうか。昼からカズと、これまたトロントのユースで一緒だったシンスケ君といっしょに、ストロベリーフィールズに行く。ここはセントラルパーク内の、ジョンレノンが住んでいたというダコタアパートの近く、、、そう彼が殺された場所だ。皆で花を買ってそこに添える。イマジンの文字が刻まれたその場所には、すでに無数の花が添えられていた。

 それからアメリカン航空に行き、フライトの変更する。それからさらにシティーバンクに行き、先日ボストンの和泉さんから送られてきた、チェックを換金しようとするが、僕の口座が日本だった為、ニューヨークに口座がないとできないと言われる。ではニューヨークに口座が作れないかと聞くが、住んでいないと駄目とのこと。30分以上ならんだあげく、できないの一言だけだったので、困っているから何とかならないかと申し出るが、ここでもネクスト!と言われ、おざなりに追い払われる。エクスチェンジでも換金できるらしいと聞いていたので、そこにも行くが駄目だった。日本の銀行ならなんとかなるかもしれないと思い、東京三菱銀行へと行くが、すでに閉まっている。明日もう一度出直すことにしよう。

 それからカナダからアメリカへ入国する際に、ビザのスタンプが押して貰えなかったトラブルにあったシンスケ君の相談にのる。いろいろ手を尽くしてみたが、やはり駄目で、本当なら3ヶ月滞在し、中南米へ向かうはずが、アメリカに2ヶ月しかいられなくなったと言って嘆いていた。僕のこれまでの旅のトラブルの話をし、もしどうしてもという理由がなければ、風に身をまかせ旅をするのが一番いいかもしれないよと言いながら、自分の中でもう一度その言葉を噛み締め直す。きっと次の国が、早く君に来てほしいのかもしれないと話すと、そうかもしれませんねと言っていた。予定外にニューヨークに滞在することになったのは、ここで僕に伝えたい何かがあるのだろうか。それとも、、、。

 夜になってカズ、シュンスケ君、それと料理人をしているというシュンジさんと4人で、賭け大富豪をする。結果は、、、僕の大勝。もっともレートが低いので、2$程の勝ちだったが。また男4人でくだらないシモネタの話題で盛り上がる。まったく本当に馬鹿野郎達だなと思いつつも、こんなに笑ったのは久々だった。

 その翌日は、図書館に行ったり、日本の食材の買い出しにいったりした。東京三菱銀行にも行くが道に迷って、3時を少しだけまわってしまい、すでに閉まった後だった。シンスケ君はワシントンへと旅立っていったが、この夜もカズとシュンジさんと3人で大富豪で握る。結果は、、、また僕の1人勝ち。本当に大富豪になれればいいのだけど、トランプじゃあねえ。

 足の方も、本当は安静にしていなければならないが、やらなければいけないことが多くて、歩きまわっているせいか、相変わらず痛くてよくならない。せめて足だけでも直ってくれれば随分違うのだが、、、。

 

 

 

[Diary Top]