旅日記1 韓国編Vol.1「悪のスタート」

 

1月25日 晴れ

 

 なんだかよくわからないうちに旅がスタートしてしまった。

 この旅を半年前から計画していたはずなのに、まったく実感のわかないままソウルのキンポー空港に降り立ってしまった感じがする。

 本来なら1月24日に東京を出発して新幹線で下関へ、その後フェリーでプサンに渡りセマウル号という韓国の新幹線でソウル入りするはずだったが、引越しやら旅の準備やらが一向に進まず結局出発を1日遅らす事にした。

 せっかく2時間近く待って発券してもらった日韓共同切符(日本の新幹線と韓国の新幹線セマウル号、下関〜プサンのフェリーがセットになったJR発券の切符)も払い戻すはめとなり、しかも2万8千円弱した切符が払い戻し時には3割引かれた金額しか戻らないとのことで「聞いてませんよ」と上野のびゅうの職員に言うと「ええ、特に言ってませんが、そうなんです」と平気な顔をして返事を返される始末。しばらく押し問答を続けた後、決まりですからとお役所的な返事を繰り返す職員と話していてもらちがあかないと、とりあえず悔し紛れ的な捨て台詞を吐いて出てきてしまった。

 JRの職員も職員だが直前に払い戻す自分も自分と後でしばらく反芻する。

 その足で先々週に引き続き2回目のA型肝炎と破傷風の予防接種を受けに行った後、ソウルまでの格安航空券(大韓航空片道)を2万9千円で買った。

 今回は韓国からの世界一周航空券(ワンワールド系)をインターネットで購入したのだが、キャセイパシフィックのオフィスでも出発の日程は変更できないといわれたので、韓国の滞在がそのまま1日少なくなってしまった。ただソウルには元々25日の午後に到着予定だったので、プサンまでのフェリーとソウルまでの列車の旅が無くなっただけでその後のスケジュールはそのまま予定通りに進むだろうと思っていた。しかしこのバタバタ騒ぎが後にとんでもない事件を引き起こすこととなる。

 ソウルの空港に着いた後地下鉄の駅まで歩き、今夜泊まる予定のYMCAの最寄り駅「チョンガク」を探す。しかしさすがここは韓国、全部ハングルで書かれているのでどうしたものかとまごついていると、すぐ隣で人のよさそうな青年が切符を買っていたので彼に尋ねてみることにする。

 英語でチョンガクに行きたいのだがというと、私日本語大丈夫ですと流暢に返してきた。 

 彼の話によると5年間日本に留学していて今回就職の関係で韓国に帰ってきたところだと言う。「チャン」と名乗るその青年は親切にも途中まで同じなのでと僕の切符も買ってくれ一緒に列車にも乗ってくれた。その後20分程電車の中で会話を交わし、彼がゲームのプログラマーになろうとしていること、韓国ではプレステみたいなGAME機ではなくパソコンのゲームが主流なこと、日本と違って韓国では携帯が地下でも電波が届くといったことなどを話してくれた。

 その語E-MAILのアドレスを渡し、もしよかったら今度メールをくださいと話して乗り換えの途中の駅で彼と別れる。しばらく連絡通路を歩いていると韓国語で別の青年が声を掛けてきた。

 自分は日本人なので韓国語がわからないことをつたない英語で返すと、彼もつたない日本語で自分の事を韓国人だと思ったと返してきた。彼は「キム」と名乗り、プサンの学生で冬休み(韓国の冬休みは長いらしい)を利用してソウルまで遊びにきたとのこと。

 チョンガクへの乗り継ぎはここでいいのか?と聞かれたので、先程のお返しにと柄にもなく日韓親善を気取り一緒にチョンガクまで行くことにする。

 彼が今日はどこに止まるのですか?と聞いてきたのでYMCAと答える。いくらですか?と続けるので35000元(日本円で約3500円)と話すとそいつは高い!と言う。

 実を言うと自分でも今回の旅の予算は12000円くらいと決めていたのでちょっと痛い出費なのだが、前日までのドタバタで疲れていることもあり、とりあえず自分でも知っているような名前の宿に泊まろうというのが1つ、あと明日このホテルの前でインターネットを通して知り合った日本人と待ち合わせをしている関係で、どうせ明日もくるのならこのまま泊まってしまえとYMCAに宿を取ろうと思っていたのだが、どうしても今晩からこのホテルにする必要はなかったりする。

 彼も今夜の宿をチョンガクの安宿に取ろうと思っているとのことで、もしよかったら一緒に部屋をシェアしないかと申し出てきた。2人で泊まれば少しはまともなところに1000円くらいにとまれるのだと言う。

 しばらく迷ったが彼がフィフティーフィフティーを強調するのと、どこか人のよさそうな悪く言えば間の抜けた顔をしていたので、まあそんなに悪い人間でもないだろうと思いその提案に乗ることにした。それで彼の知っているという宿の近くに行ったのだが、しばらくうろつくがどうも見つからないらしい。「なくなってしまったのかなあ〜」と呟き彼はしばらく考え込んだ後、もしよかったらバスで少し行ったところに自分の友達がソウルに住んでおり、そのあたりなら宿が安いと聞いているのでそこにしないかと言う。もう歩き疲れていたこともあり、頭も動かない状態だったので、どこでもいいよとつい答えてしまった。それで彼と大通りからバスに乗ったのだが行けども行けどもバスは着かない。「まだ結構かかるの?と聞くと、もうすぐと言ってまだバスは走り続ける。それからさらに10分くらいして彼がここの近くですと言うので一緒に降りる。

 どこに着いたかわからぬままに彼がここにしましょうという1件の旅館に入った。2Fに上がるとなかなか綺麗な部屋で111500元、日本円で1000円ちょっとといったところだろうか。なかなか良い部屋だねと間抜けな会話を交わし、今日は疲れているので早めに寝たいと話すと友達に紹介したいのでちょっとだけ一緒に食事をしないかと彼が言う。本当はもう1歩も歩けないくらい疲れていたのだが、あまり邪険にしてもと思い、せっかくの好意なのでいいですよと了解し外に出ようとする。すると彼が最近韓国は夜は危ないので貴重品はあまり持ち歩かない方がいいと忠告してきた。僕のバックパックに鍵がかかるのを見て、それに鍵を掛けて部屋に鍵をかけておけば安全だからというのでパスポートや航空券、トラベラーズチェック、カードといった貴重品をまとめて入れて鍵をかけ彼と一緒に部屋を出る。その後バスで1区間だけ乗って一緒に焼肉屋に入った。

 彼は適当に注文し、すぐ友達を呼んでくるので先に食べていてほしいと言い残し店のおばちゃんに韓国語で何か言って店を出て行った。1~20分で戻ってくると言ったので先に焼肉を食べていたのだが、いくら待ってもこない。最初はなかなかうまいじゃないかとのん気に堪能していたのだが、気がつくともう1時間たっている。さすがに味もわからないほど心配になってきた。

 色々考えてみるとおかしな言動が多すぎるのではないかと悪い予感が頭をよぎる。しかも貴重品はすべて部屋のバックの中にあり、部屋の鍵は彼がフロントに預けておりその気になればいつでも部屋に戻ることができる。自分は今何処にいて何という旅館に止まったのかすらわかない状態。「やられた!」そう思うまでにそれ程時間はかからなかった。

 時計は彼が出て行ってすでに1時間半を経過した。予感が確信に変わり店のおばちゃんに彼が何と言って出て行ったのかつたない英語で尋ねるが、どうやら韓国語以外は通じないらしい。騙されたみたいだと言っても大丈夫だからみたいなそぶりをするだけでどんどん時間が過ぎて行く。しかたがないのですぐ後ろのテーブルの家族連れの叔父さんに英語で話しかけ、韓国語に訳してもらいおばさんに伝えてもらうと部屋にお金をおいてあるのか?と言っているというので、その叔父さんに貴重品は殆ど部屋だと言うと無銭飲食と誤解されたらしい、逆にこっちが警察を呼ばれてしまった。できるだけわかりやすく叔父さんに事情を説明して、警察に行きたいので場所を教えてほしいというとすぐ隣だと言う。叔父さんはなぜか僕が食べた焼肉の分もお金を払ってくれすぐ隣の警察署まで一緒に連れていってくれた。

 警察で事情を話すが、どちらも英語が殆どできないもの同士でうまくコミニュケーションが取れない。ホテルは何処かとしきりに聞かれるが、こちらはホテルの名前どころかここがどこかもわからないのだ。本来ならここまで間抜けなドジは踏まないはずなのだが疲れていたのと彼が親切なのにすっかり警戒心を緩めきってしまっていた。とりあえず日本大使館ならなんとかうまく仲介に入ってくれるだろうと電話番号を調べてもらい電話するが、本日の営業は終了しましたという無機質なガイダンスが何度も繰り返されるだけ。

 向こうも困りきっていたので、とりあえず大体のホテルの場所は検討がつくから車を出してくれないかと頼む。それで警察官2人とパトカーに乗ってしばらく行くが、探せど探せどそれらしきものは見つからない。外に出て歩きながら探したいと無理を言い探し回るが一向にそれらしき建物は見えてこない。

 寒い。1時間近く探しただろうか、寒さと疲労でもう何が何だがわからなくなってきた。後で聞いた話だとこの日ソウルの気温はマイナス18度だったとのこと。警察官にもう駄目みたいだねと話し警察署に戻ろうと話すが、警察署から車で5分くらいの場所ならまだ行っていないところがあるしもう少し探してみようと言ってくれた。それからまた車に乗ったり歩いたりしながらさらに1時間程探すがやはり見つからない。車は同じ所をぐるぐるとまわり、僕は力なく呟く。もうわからない…..I don’t know …I don’t know と。

 時計はまもなく真夜中の12時を指そうとしている。彼らも万策尽きたのか納得しさらに車は先程よりももっと大きな警察署の前に止まった。おそらくこのあたりを統括している警察所なのだろう。大きな建物の中に入り階段を上がる。奥まった立派な扉を開けると彼らはビシッと敬礼をした。その視線の先を見るといかにも偉そうな制服をきたおっさんとその部下だろうと思われる警察官が4〜5人机を囲んで座っていた。彼らはその上官に韓国語で手短に話すと、その偉そうなおっさんが僕に何やら話し掛けてきた。しかし英語なのかどうなのかもわからない言葉なので僕が困っていると、それを見かねた部下の警察官が僕に色々と質問をしてきた。僕は何度となく繰り返した内容をつたない英語で彼に話す。すると彼もしばらく考えた後、何やら韓国語でその部屋の警察官4〜5人と話をしはじめた。その後その中の1人がどこかへ電話をかけてしばらく何やら話した後、彼は僕に黒い受話器を差し出す。何だろうと思いながら受話器を取るとそこから流暢な日本語が流れてきた。

「私は日本語が話せますので、どういった状態なのか詳しく聞かせてください」電話の主はそう言った。「助かった!」心の底から僕はそう叫んだ。

 はっきり言って僕は英語ができない。ホテルの部屋を取ったり、食事をしたりするくらいならなんとかなるが、ちょっと込み入ったことになると辞書を片手に単語を並べるくらいで、ヒヤリングも相手が難しい単語を折り混ぜるともうさっぱしでお手上げの状態なのである。

 僕はまるで神様に懺悔するかのように事情を説明し、その宿に関することや、キムと名乗る青年について事こまやかに話した。彼は警察の人と変わってくださいと言って偉そうなおっさんと何やら韓国語で話をしている。その後また僕と変わりその電話の主は言った。「もう心配しなくても大丈夫ですよ。きっと彼らが見つけてくれます」と。

 それからまるで緊急事態が発生したかのように署内はあわただしくなった。殆どTVの刑事もののドラマみたいである。

 時計は深夜1時を過ぎ、何やら出前が部屋の中にあわただしく運びこまれた。おっさんはそのうちの1つを僕に食べろと差し出す。普通日本のドラマならカツ丼なのだろうが、なにやら伸びきった焼きうどんにデミグラスソースみたいな真っ黒な汁と、申し訳なさそうに少し煮野菜が入っている。皆美味しそうに平らげているので、僕も箸を取り口に入れてみる。……くそまずい。一体何の汁がかかっているのだろう、麺も延びきっておりよくまあこんなくそまずいものが食えるものだと違った意味で韓国人を尊敬してしまった。僕は1口食べた後、弱々しく箸を起き、I’m sorry I’m no hungryと付け加えた。彼らも心配で食欲が無いと思ったのだろう、最初何か言いたげだったが何も言わなかった。僕も仕方なく心配で仕方ないと言った顔をする。まあ実際パスポートも無いし、このまま何もしないで半年前から計画した旅が終わるのかと思うと胸が痛んで仕方がないのだが、実はお腹は別モノだったりする。だってまさかまずいから食えないとは言えないでしょう。普通。そしてそれから5分もしないうちに電話が鳴りまた回りが急にあわただしくなった。そして1人の若い警察官が僕に向かって言う。「FIND……本当に?と聞くとこれから現場に向かうので協力してほしいと言う。僕はもちろんと答えた。すると先程のおっさんが今度は筆談で漢字をならべる。私達韓国の警察は全力を挙げて犯人を捕まえる。だから色々強力を頼むみたいな内容みたいだ。僕はありがとうと言うとおっさんは嬉しそうに笑った。そして僕は別の建物の狭い部屋に連れて行かれた。

 そこはまるで宿直室みたいな雰囲気で机とテーブルとソファーがあって、すでにそこにいた愛想の無い警官が僕に何か言って下品な笑い声をあげている。おそらく僕はからかわれたのだろう。僕をそこに連れていってくれた警官は気にするなと言って奥の倉庫から何やら取り出してきた。どうやら指紋を取るみたいだ。

 ちょっと抵抗があったが、協力すると言った手前しかたがない、僕は当然といったそぶりをしてみせ左右両手の五指の指紋を警察が用意した用紙に取りそこにサインした。すると先程電話で話した日本語のできる人がまもなくここに到着するのでこのまま待っていてほしいと言う。僕はわかりましたと言ってそのままソファーに降ろすと部屋の端で別の警官とふざけていた先程の下品な男が僕にコーヒーを入れてくれた。なんだ結構いいやつじゃないかと思う間もなく、また何やら韓国語で言ってげらげら笑っている。やっぱりこういう奴らしい。見直して損をしたと心の中で呟く。

 それからしばらく待っていると先程電話で話しをしていた日本語のできる人が到着した。その人の事を当初僕はてっきり警察の人だと思っていたのだが、実は旅行代理店に勤めている人で、先程僕の指紋を取った人の遠い親戚にあたるのだと言う。親戚と言っても、ものすごい昔に1度会ったか会わないかといった程度の親戚で、その指紋の警察官が日本人ということで思い出し偶然連絡をしたらしい。指紋を取った警察官は金倫洙(キムイルスー)さんと言い、旅行代理店に勤めている人は金重洙(キムジュンソー)さんといった。犯人も金(キム)と名乗っおりどうやら韓国ではキムづいてるみたいだ。 

 キムジュンソーさんが流暢な日本語を話されるのはご自身も東京の旅行代理店に勤務していたことがあり、またその時に知り合った日本人女性と結婚したからだとのこと。なるほどと納得。

 僕と2人のキムさんを乗せた車は小奇麗な旅館の前に止まった。そして入り口をくぐると確かに犯人と入った旅館だと思い出す。僕達は旅館の主人に連れられ約8時間程前にチェックインしたあの部屋に入る。そしてその瞬間愕然とした。

 部屋は無残にもあらされ、僕の荷物の中身があちこちに散乱していた。鍵をかけたはずのバックパックはナイフで切り裂かれて当然のごとく犯人の姿はもうそこには無かった。僕が荷物に近寄ろうとすると警官のキムさんが指紋を取るから触らないで!という。

 僕はまるでTVドラマを見ているかのような無残な光景を眺めながらそこに立尽くしていた。それから5分ぐらいしただろうか、盗まれたものと犯人の遺留品があったら教えてほしいと言われ僕は散乱した荷物のチェックをはじめる。するとパスポートはもちろんのことカードや航空券、ノートパソコンまで手付かずのまま残っていた。

 結局無くなっていたのは現金1万円とトラベラーズチェックのみ。しかも犯人は自分の吸ったタバコの吸殻(注:僕はタバコを吸いません)と犯人が部屋に入るなり早々飲んでいたジュースの容器がそのまま残っていた。犯人が盗んだ時間は夜なので当然のごとく銀行はしまっており換金はできない。ストップをかければまだ間にあうかもしれない。もしうまくいけばトラベラーズチェックなら再発行してもらえる可能性もある。そうすれば結局のところ僕の被害は現金一万円と切り裂かれたバックパックだけ。しかもバックパックも僕の使っているものはメインのバックとサブのバックが取り外せるしくみになっており、メインのバックは無事だったので、これなら多少荷物は窮屈になるけれど使えないこともない。

 警察も韓国の名誉にかけてつかまえると言っており、うまくいけば彼はたった1万円で人生を棒に振ったことになりそうだ。代理店のキムさんが僕のノートブックを見て、これを売れば韓国だったら40万円くらいにはなるのにねと呟いた。僕が最初睨んだ通り「お間抜けな奴」というのは正解だったみたいだ。

 僕は散らかった荷物を片付け警察署に戻り被害届を書き、それを代理店のキムさんが韓国語に訳して書きなおしてくれた。そこに僕はサインし提出。

 警察のキムさんももし何かあったら連絡してくれと携帯の電話番号と名前をメモした紙をくれる。とりあえず後は夜があける前にCITYBANKへトラベラーズチェックのストップをかけるだけだ。

 電話を借りたい旨を伝えると旅行代理店のキムさんが僕にもしよかったら今晩は家へいらっしゃいませんかと申し出てくださった。電話もそこでかければいいとのこと。

 僕がそんなご迷惑はかけられませんと言うと、韓国に対して悪いイメージを持ってほしくないので、同じ韓国人としてぜひお詫びがしたいとおっしゃる。

 時間も夜の2時半を回っておりこれから宿を探すこともできないとあって、僕はその好意を素直に受けることにした。キムさんのご自宅に着いたのは夜の3時。奥様が出迎えてくださった。奥様は日本人の関根靖子さんという方で奥様にも非常によくしていただいた。なんとかCITYBANKでトラベラーズチェックの盗難手続きをすませ後日結果報告を連絡して聞くことになった。キムさんいわくおそらく大丈夫だろうということで僕も一安心し用意してくださった布団に潜り込む。

 長かった1日が終わった。時計を見ると深夜4時半。明日はそしてこの旅はこの先どんな事が待っているのだろう。僕はすぐに深い眠りの中へと落ちて行った。

韓国の家庭料理(関根さんのお宅で)

 

 

 

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