旅日記23  タンザニア編 Vol.2  「水平線からの明け」

 

2月28日(晴)

 

  ニワトリの鳴き声で目を覚ます。時計を見るとまだ5時半、夜明けまで1時間近くある。しばらく蚊帳の中のベットでもぞもぞしているが、すっかり目が覚めてしまったので体に虫除けスプレーをかけてライトを持って表に出る。

 するとまだ薄暗かったが少しずつ遠く広がる水平線の彼方の、海と空が交わるあたりが明るくなりはじめていた。砂浜に腰を下ろして夜明けを待つ。

 30分程たっただろうか、海と空との境界線に強い赤みがかった太陽が顔を出し始めた。慌ててカメラを取りに部屋に戻る。すぐに引き返したがもう太陽が4分の1くらい顔を出していた。本当に本当に水平線から太陽が昇ってくる。

 あっという間に太陽は3分の1、2分の1とものすごいスピードで顔を出してきた。思わず息を呑みシャッターを切る。

 

 綺麗だ。思わずため息をついてしまう程である。もう少し気の利いた言葉を捜すが他に見つからなかった。ただ、ただ見入ってしまう。

 しばらくすると太陽はその全容を表し、30分もしないうちに空高く舞い上がって行った。ものすごい速さと美しさだ。

 そして赤みがかったその色もすっかりと白く強い日差しを降り注ぎはじめていた。昨夜の星空といい、本当にここはなんて素晴らしい光景を見せてくれる場所なんだろう。

 その後いつもと変わらない太陽に飽きた僕は、そのまま浜辺に腰を下ろし美しく輝く海に見とれていた。ここで飼われている犬達が浜辺でじゃれていたので、一緒に混ぜてもらうことにする。

 しばらくすると昨夜の女子大生達が、朝1番のローカルバスでタウンに向かうとかで朝食を取っていた。僕も部屋にカメラを置いて朝食を取る事にする。

 彼女達を見送った後部屋に戻って横になる。体が非常にだるく少し熱っぽいことに気づく。額に手を当てるとどうやら熱は無いようだったが、それでも体調は時間がたつにつれ悪くなって行く。風邪をひいたのか、それとも疲れからなのかはわからなかったが、どちらにせよ今日は1日安静にしていた方が良さそうだ。

 部屋にいても気分が滅入ってくる一方なので、食堂で飲み物を取りながらぼんやり海を眺めていることにする。

 しばらくすると宇都宮君が顔を出し朝食を取り始めた。彼は昼までシュノーケリングをした後、今夜はタウンで1泊し、明日の船でダルエスサラームに、そして明後日の朝の飛行機でジンバブエに向かうとのことだった。

 昨夜日本人同士で色々話しをしている中で僕がミュージシャンであることを話すと、沙織さんの知り合いのアメリカ人がジンバブエ音楽の研究をしていて、それがまたものすごく素晴らしいらしい。

 もしジンバブエに行くつもりなら紹介してくれると言うので、宇都宮君と同じ飛行機に乗れるなら行ってみようかと考えていた。

 沙織さんの知り合いにダルエスサラームで旅行代理店をしている日本人の方がいるというので、聞いてもらうと運良く同じフライトに空きがあるとのこと。値段も4万円ちょっとだったので、こんなチャンスもそうないだろうと行くことに決める。

 明日の朝用事で沙織さんもダルエスに向かうというので、僕はそれにご一緒させてもらうことにした。宇都宮君とも昼間タウンで合流して同じ船でダルエスに向かう約束をする。

 この日は本を読んだりしながらのんびりと過ごすが、いっこうに体調が良くならないので昼寝をすることにした。夕方目覚め夕食を取ろうとするが食欲も無い。ひょっとしてマラリアではと疑いはじめる。

 この日の夕食はザンジバルフードでとても美味しかったが、体調が悪くて半分も食べられなかった。

 

 日本人が僕と沙織さんだけになってしまったせいなのか、何故かお互いの半生について話が進む。沙織さんは和歌山で放送関係の仕事をしていたが、色々あって仕事を止め1年自分にお休みをあげるつもりで、ケニアのナイロビでスワヒリ語の勉強を始めたとのがアフリカに来るきっかけだったと話してくれた。それがいつの間にかタンザニアのザンジバルという日本ではあまり馴染みの無い島でバンガローをはじめることになり、すでに8年も経ってしまったと笑っていた。

 僕もずっと音楽漬けの半生だったけど、色々あってこの旅を始める1年位前からあえて音楽をまったくやらない時間を作っていたことがあるんですと話すと、沙織さんが昔ある人からいただいたという言葉を教えてくれた。

 それは「1番大切なものを失う時、それはもっと素晴らしい何かをこれから手にしようとしている時。だからけして悲観することは無い。きっともうすぐ素晴らしいものに出会えるはずだから」そんな内容だった気がする。

 僕が歌うことを止めたとき、いったいどんなものに出会うのだろうか。

 

 

 

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