旅日記25  タンザニア編 Vol 4  「ティンガティンガ国」

 

31日(晴のち雨)〜2日(晴)

 

 朝起きてまずはマラリアのチェックをしてもらう。体調はずいぶんと良くなっていたが違ったら違ったで安心するしと念の為行くことにした。

 沙織さんも8回マラリアをやっており、その時の症状とは違うので多分大丈夫だろうという話だったが一緒に病院までついて来てくれた。。

 新しい針で中指をさしガラス板に血を数的垂らす。後はこれを調べてもらうだけだ。

 受付で座って待っていると15分もしないうちに呼ばれまた医師の所へ行く。結局マラリアでは無かったのだが、僕はマラリアの予防薬を飲んでおりこれを服用していると検査で出ないことがあるので、もしこの後服用をやめて2〜3日してもまだ体調が悪いようなら再検査するように言われる。

 マラリアの予防薬は元々強い副作用があって、服用もかなり迷った経由があったのだがこれを機にやめることにした。変わりに沙織さんに教えてもらった中国の薬でコテキシンというマラリアの「治療薬」を薬局で買う。これは新しい薬で副作用も無く1箱千円もしない。予防薬ではないがもしもの時のお守りにとバックにしまった。

 この後あちこち沙織さんの買い物のお供をする。途中で何処か行きたい所は無いかと言われたので、ティンガティンガというタンザニアの絵の工房が近いので寄ってもらう。この工房では沢山の現地アーティストが絵を書いているのだが、動物や自然をモチーフにする人、人の生活をモチーフにしたり歴史上の出来事を書いたりしている人など様々だった。

 基本的にティンガティンガにはストーリー性があるとかで、よくみると結構シリアスなドラマが描かれたりしているのだが、絵の雰囲気がほのぼのとコミカルなのが笑いをさそう。

 おもしろいですねと沙織さんに言うと、本人達は別におもしろくしようと思っている訳ではないみたいだけれど、こうなっちゃうのよねえと笑っていた。ティンガティンガはどこかここのアフリカン自体そのものと共通点が多い、そんな気がする。

 1枚とても気にいった絵があったのだが、沙織さんもそれをすごく気にいって買われてしまった。まあどのみちこれを持って旅をするわけにもいかないしと諦める。

 その絵を包んでもらっているときに気づいたのだが、こちらの絵は紙ではなく布に描いているようだった。よく見てみると他にも灰皿や木の箱に書いている人もいる。頼めば壁にだって何だって書いてくれるとのことだった。

 

 沙織さんがザンジバルを出たことの無いアサナティに、勉強がてら色々見せてあげたいと一緒にシェラトンでお茶をすることになった。しかも偶然昨日電話で話していた旅行代理店の人とバッタリ会い、沙織さん自身も用事があるとのことで一緒にテーブルを囲むことになった。

 この人はネモトさんといい、タンザニアの大学でスワヒリ文化を勉強された後、こちらにお住まいになってもう10年になるとのこと。

 僕が音楽をやっていることを沙織さんが話すと、それならジンバブエもいいけど西がいい、それもセネガルがいいですよとおっしゃっていた。ここはパリダカで有名なダカールを首都に持つ国で、物価は高いが西の中では比較的日本人が訪れやすい国だ。機会があればぜひ1度行ってみたいと思う。

 ネモトさんと別れシェラトンを出るが急に強い雨が降り出したので、雨宿りがてら別館の民芸品売り場を覗いてみる。

 特に何も買うつもりはなかったが、ここでみたタンザニアの太鼓がものすごく気にいってしまいつい買ってしまった。それも大小1つずつ。

 

 

 後からしまったと思ったが買ってしまったものは仕方が無い。とりあえずタイまで持って帰ってそこから船便で日本へ送ることにしよう。

 

 雨が少し小ぶりになった隙をついてホテルまで20分程歩いて戻る。夕食はアサナティにきちんとしたところに連れて行ってあげたいというので、近くのホテルにあるタイ料理レストランに行くが、値段はしっかり味はがっかりという代物だった。

 しかもアサナティは殆ど箸をつけようとしない。食欲が無いのか聞いてみたが、沙織さんの話によるとこちらの人はかなり保守的で、自分達の文化以外のものは殆どといっていいほど受け入れようとしたがらないらしい。

 僕達のおじいさん世代の日本人みたいですねと言うと、沙織さんはここの人達は昔の人だからねと言っていた。

 

 さすがに夜もどっぷりと更けてやばい雰囲気を通りこしていたので、わずか5分でもタクシーに乗る。ここでお金をケチって命を落としては元も子もない。

 明日はザンジバルまでご一緒することで話がまとまり、体調のことも考えこの日は早めに寝た。

 

 

 翌朝目覚めてシャワーを浴び、荷物の整理をしていると部屋の電話が鳴る。沙織さんからで3人で一緒に朝食をとらないかとのこと。そういえばここは朝食が含まれていたのだが、昨日はすっかり忘れていた。

 午前中寄りたいところがあると沙織さんにつきあって、街のあちこちに出向く。昼間は安全とはいいがたいものの、3人で注意して歩く分には大丈夫そうだ。相変わらず詐欺師がしょっちゅう声をかけてくるが、それよりも問題だったのは昨日のタイ料理がお腹にきていて途中によった店でトイレを借りるはめになる。

 しかし現地式でとてもじゃないが用が足せそうになかったので、ホテルまで脂汗をかきながら必死にがまんした。

 

 ホテルをチェックアウトして昼過ぎに船にのる。相変わらず乗るまでが戦争だったがこの船は行きの高速艇と違って、時間が倍かかるが広々としていて寛げた。しかも料金は高速艇の半額ときている。

 3時間半ほど揺られて夕方頃ザンジバルにつく、これで15US$くらい。

 沙織さんも今晩はタウンのご自分の家に泊まられるとのこと。僕もガイドブックで下調べしていたがすぐ前にも安いゲストハウスがあり、あまり知られていないが値段の割に綺麗だからと進められる。

 早速そこで部屋を見せてもらうとシャワートイレ共同なら8$とのこと。しかしお腹の調子が悪かったので付いている20$の部屋を頼む。中に入ってみるとシャワーは水さえ出ないし、ファンも音だけ立派で殆ど意味をなさないようだったが、蚊帳とベットが綺麗だったのでお願いする。

 

 夜になって沙織さん達と一緒に歩いて食事に出かける。すぐ近くとのことだったが1件入ってみたもののアサナティが食べられるものがなかったので、結局30分近く歩くことになった。ここでザンジバル風?辛くないカレーを食べる。

 最後の晩餐の記念にと沙織さんとアサナティと3人で写真を撮った。現像して送るよとアサナティに言うと、嬉しそうに笑っていた。

 

 不思議な縁で急遽ご一緒に旅をすることになった23日の小旅行ももうすぐ終わろうとしている。

 僕の知っているスワヒリ語といえば、ジャンボ(こんにちは)とアサンテサーナ(ありがとう)ぐらいなものだったが、ここへ来てから数え切れない程この言葉を使った。

 あと1つ沙織さんが教えてくれたのがハマヤリクーンという言葉で、これはおじゃましますという意味のほかに、安全にここを通してくださいねという意味があるらしい。早速帰りの道ですれ違う人々にハマヤリクーンと使ってみた。

 

 1人宿に戻ってアフリカでの2週間を振り返る。色々あったせいか長いようで短く、短いようで長いアフリカの日々だった気がする。

 まだここはアフリカ、バンコクの宿につくまでは気が抜けないと思いつつも、明日の今ごろはタイにいるのかと思うと寂しいような、それでいてホッとしている自分に気づく。

 

 アフリカはとてもエネルギッシュな所だったような気がする。またエネルギーを充電してこのブラックアフリカに来てみたいとそう思った。

 

 

 

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