旅日記28 タイ編
Vol 10 「極貧!(笑)タイ北部バス&ヒッチハイクの旅」 |
3月14日〜24日
タイマッサージのライセンスを取得した翌日、タンザニアの太鼓やら冬物やらを日本に送る為中央郵便局まで出向く。 タイ以降は荷物を預けて旅をするといったスタイルは不可能なので、できるだけ荷物を減らしておきたい事情もあった。だが送料を聞いてびっくり。1800バーツ、日本円で約5400円。一番安い船便でこれである。断腸の思いで約5泊分の宿代を送料に当て日本に荷物を送る手続きを済ませる。 ついでにスリウォン通り沿いのビーマンバングラディッシュ航空のオフィスに立ち寄る。シンガポールへのフライトを延期する為だ。 当初22日にシンガポールへ向かう予定だったが、一週間後の29日延長した。ビーマンのフライトは週に1本しか飛んでいない為、空席があるかどうか不安だったが大丈夫だというので早速書き換えてもらった。
翌日POOM達と一緒にファランポーン駅にチェンマイ行きのチケットを買いに行く。待ち合わせを朝10時半にマクドナルドとなっていたので、時間ピッタリにいつものサヤームのマクドナルドに行って待つ。しかし待てども待てども来ない。 11時になった段階でひょっとしてファランポーン駅のマクドナルドで待ち合わせだったのではと思い、慌ててゲストハウスに戻って自分あてに連絡がなかったか聞くが無いとのこと。 まだ間に合うかもしれないとタクシーに飛び乗りファランポーン駅までかっ飛ばしてもらう。
駅でマクドナルドを探すがそれらしきものが見当たらない。係員に近くにマクドナルドが無いか聞くと、ドーナツ屋とケンタッキーならあるがそれでは駄目か?と答える。 とりあえず駅周辺に無いことを確認し、慌ててタクシーにまた飛び乗って再度サヤームのマクドナルドに引き返す。時計を見るとすでに11時半になっていた。 駄目元でマクドナルドの扉を空けると、、、いた。POOMとその友達。 寝坊したとかでここについたのが11時15分過ぎだったとのこと。相手はタイ人なので怒る気持ちよりも、無事に逢えたことにホッとする。 この日は皆で一緒に駅でチケットを買った後、タマサート大近くで昼ご飯を食べて、学内を少し案内してもらって3時過ぎに別れた。
翌日荷物を預けてゲストハウスをチェックアウトした後夕方までワールドトレードセンターで時間をつぶす。6時に待ち合わせだったが、バスで移動しようと早めに乗りこんだがそれ程渋滞にもつかまらず5時半には駅についてしまった。 かなり早かったが駅で待つことにする。
約束の6時になるといきなり国歌が流れ出し、全員規律して微動だにしない。 たまたま僕はその時立っていたので、そのままあっけにとられて立ち尽くしていたのだが、国歌が終わって全員一斉に着席した後も、何が何だかわからない僕は1人、口をあけて呆然と立ったままだった。 後で知った事だが駅やバスターミナルなど公共の場では朝8時と夕方6時に毎日必ずこのように国歌が流れるとのこと。映画館なども必ず本編前に国王の映像が映し出され、国王賛歌が流れて全員起立なのだそうだ。さすが王室不敬罪が存在する国だけある。
15分程遅れてPOOM達がやってきた。その友達はさらに15分計30分遅れてきた。 POOMが申し訳なさそうに謝るので、大丈夫タイランドタイムには馴れているからと笑って言うと、恥ずかしいと言いつつもバンコクは道が込んでいるからと少しムッとしているようだった。日本人はそれを見越してさらに早く出るんだよと喉のところまで出かかったが口にせずに飲み込んだ。
7時25分定刻通りに僕達6人を乗せた夜行列車はチェンマイに向かって走り出した。 メンバーは僕以外すべてタイ人の学生。日本語の話せるPOOM(ポム)に今回の主催者でアマチュアカメラマンのポーン、少しおとなしいポンにいつも鼻歌を歌っている男勝りなエー、そして陽気なギャクで笑わせてくれるジーンの計6人。 寝台車は高いので一般の2等席での移動となる。これで500バーツ、約1500円。
12時間程かけて翌朝7時過ぎにチェンマイに到着する。ソンテウというピックアップの車に乗りこみ、宿を探してまわる。 皆何度もチェンマイに来ているとのことで安心していたのだが、宿はまだ決めていないとのこと。やはりタイ人だなと思う。 1時間近く探しまわってようやく1件のホテルにチェックインする。男は僕1人だったので当然1部屋別にしたが、彼女達は2人部屋に5人で泊まるという。ベット2つに5人寝られるのか?と思ったが、この後も彼女立ちはこのスタイルをずっと貫いて行くつもりらしい。
部屋に荷物を置いた後、ソンテウを1日貸し切り郊外へと繰り出す。 何処に行きたいか?と聞かれたので、象に乗りたいというとポムが何やら運転手に話してくれ、その後OKと言って車はエレファントキャンプへ向かって走り出した。 山道をしばらく走ってやっとそれらしきものが見えてきた。ここまで1時間半はかかっただろうか。そこで値段を尋ねると象1頭に2人ずつのって1人30分300バーツとのこと。 皆その値段の高さ(といっても900円くらいなのだが)に驚いていたが、結局僕とポム、エーとジーンで2頭象を借りることにする。 ここでは山と川でコースが作られており、僕達は元気に象の背中のイスに乗りこんだ。 象の背中を触ってみるとザラザラとしていて硬い。また頭にかけて長い毛がたくさん生えていた。象にも髪の毛があるんだと妙な感心をする。 しばらく象の背中に乗っていたが、ポムが何やら象の頭の上に乗っている騎手?と話をしている。 すると何を思ったかその騎手は象から飛び降りて僕に象の首に乗れという。 何を言っているんだこの人はと思ったが、ポムもほらほらというのでそのまま象の首に乗せられてしまった。 当初こそ結構びびっていたが、馴れてくるとなかなか楽しい。ただ象の髪の毛がズボン越しにお尻に刺さってチクチクと痛かった。 後ろを振り返るとエーも同じく首のところに乗って奇声を発していた。結構笑える。
30分たって元の場所に戻ってくる。象の名前はメノマーといい8歳のメスとのこと。サンキューメノマーとお礼を言ってポーンに一緒に写真を撮ってもらった。
象のキャンプを後にし車はさらに1時間以上かけて山道を走りタイ王室の離宮であるプーピン宮殿に到着する。しかし僕達は皆半ズボンとサンダルという格好だった為入園を拒否されてしまった。 代わりにすぐ近くの山道を散歩する。結構急な坂道で落ちたらひとたまりもない場所だったが、景色は格別だった。 その後さらに少し走ってワットプラタートドイステープという山の上の黄金に輝くお寺に到着する。ここにはブッタの遺骨が納められているとかで、ロープウェーで登って参拝した。ここでタイ式の参拝方法を教わる。 こういったお寺では参拝セットが売られているのだが、その内容はろうそくに花、花火のような線香が3本と金箔が1枚入った紙である。 タイ式ではまずろうそくに火をつけろうそく台?に突き刺す。その後線香に火をつけ花と一緒に持って手を合わせ、額の前に持ってきた後何やらお祈りをする。 その後線香をこれまた線香がたくさん突き刺さった鉢?に同じように突き刺し、花も同じように置かれた台に置いて、もう一度正座して手を合わせお祈りする。 この時手を合わせた後すぐに土下座で平伏す形をとり、合掌と平伏しを1セットで続けて3回やり最後にもう一度合掌して終わる。 日本は1回だけで簡単でいいなあと不謹慎なことを思いつつ彼女達がするのを真似てお祈りした。 その後お布施も同じように合掌する手の間にはさんで額の前で何やらお祈りをし賽銭箱というかポストのような箱に入れる。それから前にワットプラケオではがして持って返ってきてしまい、しかもそれをどこかへ無くしてしまったという不謹慎な前例がある「仏像に金箔をはって得を積むやつ?」にチャレンジする。 ワットプラケオではごめんなさい、これで勘弁してくださいねとお祈りしながら仏像に金箔をはった。 この日はこの後ガーデンと池に寄ってチェンマイの宿に戻る。 夜になって皆で食事を取った後チャンクラン通り沿いのナイトバザールに繰り出す。ここでしばらくぶらついていると絵描きの工房みたいなところがあり、しばし見とれる。その後民族楽器店を冷やかして宿に戻って就寝。
翌朝はまた街を走るソンテウに飛び乗って、トンネルのあるワットウモ―ンへ行く。ここはれっきとした現役の瞑想修行の寺院なのだが、古代に栄えた廃墟の遺跡のような神秘的な雰囲気がした。 その後体育館のように広いワットスアンドークで参拝しホテルに戻って荷物をまとめる。 昼食を取った後僕達はパイ行きのバスに乗る。通常なら4時間程でパイにつくのだがこの日は山のテントで泊まるとのこと。3時間程走った山の中で僕達6人はある国立公園のようなところで降りる。 そこからヒッチハイクをしてトラックの荷台に飛び乗ってさらに15分程上がったところのキャンプ場でテントを借りてはる。 他に誰もテントをはっている人がいないのでどうしてかポムに尋ねると、普通の人はまずこんなところでテントははらないとのこと。私達が変と呆れている様子。大丈夫だろうか。 テントの事を何も聞かされておらず寝袋も持ってきていなかった僕は、防寒具や寝具をレンタルできるがどうか聞いてみるとテントだけとのこと。他の皆も何も持ってきておらず彼女達は大丈夫と言うがとてもそうには思えない。 結局何の準備もないまま僕達はここで1泊するはめになる。 僕はこれでもボーイスカウト経験者なのでテント生活には馴れているが、昼ですら涼しいこの標高の高い山で何の準備もなし、しかもTシャツ1枚の僕達はあまりに無謀過ぎる。 なんとかしたほうが良いとポ―ンに伝えてもらうが、ここに来てしまった以上もうどうすることも出来ないというので腹をくくった。
彼女達のテントが2つ、僕用に1つで計3つのテントをインフォメーションのロッジからさらに1キロ程登ったテントサイトにはる。これで1人1泊30バーツ、約90円。
日が沈む前にシャワーを浴びるというので、シャワーだといわれた場所で木の扉を空けると、ホースのついた水道の蛇口とバケツが1つずつ。 これでどうしろと?と言いたくなったが、とりあえず服を脱いで自分に向けて勢いよく水を出す。 水はものすごく冷たかったが、とりあえず体中に石鹸を塗りまくって再度水で流して体を拭きあわてて服を着た。 テントに戻るとまさに夕日が沈むところだった。僕はギターを取りだし夕日に向かって1曲歌う。 チェンマイを出るときに弁当を買って持ってきていたので、皆で晩御飯にする。ここでは食堂どころか薪も釜戸も無い。 皆で星を見るというので夜が更けるのを待つ。 ライトは用意してあるのと聞くと、小さいペンサイズのライトが1本。あとはろうそくだと言う。 ライターはと聞くと持ってきていないとのこと。火が無かったら使えないじゃないかと思ったが、ひょっとしたらとバックを探るといつも持ち歩いている非常用のライターが1つあった。それでろうそくに火をつけるが風で消えてしまう。時計はまだ8時前だったがこの時点で寒くて体がガタガタと震えていた。嫌な予感がする。 しばらく一緒に星を見ていたが、彼女達はまだ星を見ているというので僕はろうそくを1本受け取って先に失礼した。 他にすることも無いので9時過ぎには眠りについたのだが、夜中の12時過ぎにあまりの寒さで目をさます。ろうそくに火をつけその温もりでしばし凌いだが1時間もたたないうちになくなろうとしていた。おそらく気温は体感で1桁台、そこで僕達は薄いテントの中でTシャツ1枚、寝袋はおろか毛布1枚も無しでいるのである。さらに気温が下がれば冗談抜きで命の危険すら考えなくてはいけないような状況にある。 他のテントからも力ない悲鳴にも似た声が聞こえる。彼女達も寒くて眠れないのだ。 とりあえずまだろうそくがあったはずなので、ポムやポーン達のテントに行きろうそくを2本分けてもらう。 ライターも僕の持っているものだけだったので、彼女達の分のろうそくにも火をつけ僕の受け取ったろうそくのうちの1本をエーとポンのテントに火をつけて渡す。 僕も自分のテントに戻ってこれでしばらく暖をとっていたが、これも2時間もするとなくなってしまった。時間はこのときまだ3時半。 その後はいらない領収書やら持ってきた小説を破いて燃やしなんとかそれから2時間程やり過ごす。ライターの無い他のテントではもっと悲惨な状況になっているであろう。時間にルーズなのはまだ良いとしても、このプランニングはあまりにもいい加減過ぎるとかなり頭に来ていた。でもそれを怒ろうにも唯一日本語の話せるポムですら今日一日の予定すらわからない状況、すべては主催者であるポーンのその日の気持ち1つで予定が変わるそんな旅なのである。 とりあえず太陽が出るまでと思っていると、ポムが僕のテントにやってきて今からテントをたたんで下山するという。 ライトすら無い状況で、真っ暗闇の中どうしろと!とあまりにも無茶な要求に完全に僕はキレていた。 それでもどうにか撤収して歩いて1キロ先のインフォメーションの山小屋まで移動する。 ポムがあまりにも寒いので予定を早めたのだと後で説明してくれた。それで僕もようやく状況を理解する。 山小屋で夜明けまでしのいでなんとか朝を迎えることができた。ポーンはたくましいと言うかこんな状況にもかかわらず何事も無かったように、日の出の写真を取り巻くっていた。タイ人はたくましい。
テントを返した後、僕達はヒッチハイクで1時間半、計4台の車を乗りついでパイの街まで到着する。 しばらく歩き格安のバンガローを見つける。今日はここで1泊するこという。彼女達は普通のツインの部屋でベット2つに5人寝るという。僕にはシャワートイレ共同の部屋を1つということで見せてもらうが、共同トイレのすぐ上のベットもないマットレスだけの部屋だったので、これまでは皆でお金を集めてワリカンの形だったのだが、僕は自分の部屋代くらいは自分で払うからといって皆の部屋のすぐ上にある同じ間取りの部屋を1つ借りた。それでも300バーツ、約900円。
荷物を降ろし昨夜殆ど寝ていないので昼頃まで就寝。それから自転車を借りて滝まで行こうと皆で繰り出すが、言い出したポーンが1時間後にリタイアして皆引き返すことになった。 昨夜の件と睡眠不足で僕の機嫌が悪かったので、ポムが気を使ってかもし嫌だったら先に帰ったほうがいいと進めてくれた。でもこのときポム以外のほかの皆とはあまりうまくコミニュケーションが取れておらず他の皆も機嫌が悪かったので、僕はてっきり歓迎されていないのだと思いこんでしまった。 今思えば皆も疲れていたのだと思うが、この後彼女達は行き先を変えてお寺に行くと言い出したので僕だけ先にバンガローに帰ってきてしまった。 そこで一眠りした後、この旅のスタイルには正直ついてゆけないと思っていたので、夕食の時に明日僕だけ先に帰ろうと思うことをポムに伝える。 ポムは判ったと言って皆にそのことを話すと皆が驚いてどうしてだ?と問いただしてくる。僕はてっきり皆がそう望んでいるものだとばかり思っていたので、戸惑って「だって皆はその方がいいんだよねえ」とバカ正直に答えてしまう。 この時ちょっと用事ができてとでも取りつくっておけば先に帰っていたのかもしれないが、皆が僕さえよければ一緒に旅をしようと言ってくれたので、結局そのまま旅を続けることになった。
翌日メーホーンソーン行きのバスに乗り1時間半程行ったところのタムロッドという巨大な鍾乳洞の近くで下車し、車で向かう。 行ってみるとかなり広大な鍾乳洞で、中にはワニや象といった動物の形をしたものから無理やりこじつけたとしか思えないUFO、また古代人が書いたという壁画も残っていた。そしてそこには川が流れており鯉に似た無数の魚が泳いでいた。 筏もありそれで鍾乳洞の中の川を下れるとのことだったが、料金が高く当然僕達には乗れなかった。
鍾乳洞を見た後またヒッチハイクで3時間程かけてメーホーンソーンへ移動する。 途中1件のお寺に寄ったのだが、そこのお坊さんはいい人で水やら豆やらを食べなさいと言ってくれた。ポム達の話によるとミャンマー人だと言っていた。 この辺りの田舎のお寺になると、日本の檀家制度にも似た地域密着の崇高というよりはよりフレンドリーな趣があるようで、一種の土地の集会所ともなっているらしかった。そこでマラリア注意の張り紙を見てびっくり。 ポムにこの辺りはマラリアがあるのかと尋ねると、ここは少しだけでミャンマーの国境近くのジャングルにいるようだとのことだった。 本当はそのあたりに済む首長族に会いにゆくトレッキングツアーがこのメーンホーンソーンから出ており、割と近いので行ってみたかったのだが2〜300円をケチってヒッチハイク移動をしているこの旅にはやはり高額すぎるし、タイ人にとっては面白くもなんともないらしいので諦めることにする。
街のホテルにチェックインした後、長い山の階段を登ってワットプラタートドイコンムーという長ったらしい名前のお寺に行った。 ここからはメーンホンソンの街はもちろんのこと、ミャンマー(ビルマ)の山々が見渡せる。 そのミャンマーの山々に沈んで行くサンセットがたまらなく綺麗だった。カメラをホテルの部屋に置いてきたことを後悔するが、正直この旅はカメラを持って歩く程精神的に余裕が無いのも事実だった。とりあえず心の1ページに刻んでおくことにする。
この日の夕食は少し豪勢に6人で外国人が行くような、といっても僕が外国人なので僕達が行くような小洒落たレストランで食事をする。 6人でタイ料理を頼み500バーツ、1500円。1人あたりにすると250円だったが僕達のこの旅の食費は1食あたり2〜30バーツ、6〜90円だったのでこれでもかなり豪華だったと言える。 ホテルに戻った後すぐ前にインターネットカフェがあったので、久しぶりにアクセスしてみる。 日本の友人が作ってくれている自分の旅のHPを見るとBBSに友人からのメッセージが幾つか書きこまれていた。 しばらく日本から遠ざかってまたこのようなハードな旅をしている時だと、たったこれだけのことがものすごく嬉しかったりする。 しかしメールチェックしようとするとセキュリティーエラーではじかれてしまった。僕のプロバイダーはパスワードを続けて3回間違うと自動的にサービスが停止になるようになっており、おそらくどこかのネットカフェで僕が設定を消し忘れたか悪用されそうになったかでストップがかかっているようだ。 とりあえずバンコクに戻ったら解除を試みることにする。 明日は朝6時のバスで移動するというので朝5時ロビー待ち合わせにして早めの就寝についた。
翌朝4時過ぎに起きて荷物をまとめ時間通りに5時にロビーで待っている。が、誰もこない。 15分待ったところで皆の部屋をノックするが返事が無い。何度かノックするが返事が無いのでもう少しロビーで待つことにする。 さらに15分たつが誰1人として降りてこない。何度も部屋をノックするが物音一つしない。 疲労がピークに達すると僕はネガティブ化というか被害妄想神経?が活発化して、皆僕を置いて先に行ってしまったんではないかとか、本当の待ち合わせより1〜2時間先に知らせておいて僕をからかっているのではないかと半精神病状態に陥ることがまれにある。 このときもきっとそうだと勝手に思いこみ腹を立てて部屋に戻ってしまった。しかし冷静になって考えてそんなことが果たしてあるだろうかと思いなおし、もう一度今度は起きるまでやってやろうと、半ば殴りつけるように部屋のドアを思いっきりドンドンと強打しつづけていると、やっと何やら中から物音がしはじめて皆眠そうな目を擦って出てきた。そして時計を見て騒然としはじめた。 ポムの話によると目覚ましをセットし忘れたとのこと。勘弁してくれと心の中で呟く。君達が朝6時のバスに乗るって言ったんだからねと言いたくなったが、苦笑い1つで我慢する。 すでに時計は6時近かったので次の8時半のバスに乗ることにして、7時にロビー集合に変更する。 僕はもう荷物もまとめてしまっていたので、朝の街を散歩することにした。でも小さな街なので1時間もしないうちに中心部を1周してしまう。ワットチョンクラ―ンとワットチョンカムというお寺を見てホテルに戻ると7時少し前だったのでそのまま荷物を持ってロビーで待つ。 しかしやはりというか皆が出てきたのは7時15分過ぎだった。それも荷物を持ってバス停へという話だったのが、荷物は置いて市場を見に行こうに変更されていた。少しこの旅を後悔し始める。 市場を見て回った後8時頃ホテルに戻り荷物を持ってバス停へ急ぐ。それでも10分前にはバスに乗ることができた。 それから8時間程かけてバスはチェンマイへと向かって走り出した。途中でポーンが山へ寄りたいと言い出しバスの車掌と何やら話をしていたが、駄目だといなされたらしくそれは中止となったようだった。その日の予定が当日の朝に決まるどころか数時間後にどんどん変更されていくのはザラだった。 しかしそれでも諦めずにチェンマイの郊外で1時間程早く降りて、車でやはりというか山へ向かうことになった。しかも今日はまたテントとのこと。 先日の事があったので、今日はちゃんと防寒対策ができているのか何度も念を押すとブランケットが借りられるとのこと。先日と違って今日の山は標高が低いというのでとりあえずOKする。 ただライトだけはどうしても用意したかったので、僕が自費で買うことにした。これが80バーツ、240円。
キャンプ上へ向かう車の手配をしていると、チェンマイ大学の学生2人が同じ所に行くとのこと。2とも女の子でティアップとラオと言った。 結局この2人も一緒に行動することになり、僕達は8人のグループに膨れ上がった。 キャンプ場に着くとここは割としっかりとした近代的なキャンプ場のようで、食堂や売店もありここなら先日のようなことはなさそうだと安心する。 ただテント代が1人40バーツなのに対しブランケット代が1人50バーツなのはすこし笑えた。 僕達が例によってテント3つ、ティアップたちも1つ借りて同じ場所にテントを貼る。 エー達が僕にライターを貸してくれと言うので貸すと焚き火をつけようとしていた。ただやり方あまりにも素人的で、それではすぐ消えてしまうのでと、僕が直そうとすると余計な事はするなといわんばかりに、おまえには無理だと制される。 これでも野営に関してはエキスパートのつもりでいたので、少しプライドを傷つけられるが、まあやってみなさいとほおっておくことにしまた水のシャワーを浴びることにする。
戻ってくるとやはりというか火は消えていた。しかしティアップ達が代わって火を起こそうとしているところだった。 さすが北の子達は都会の子と違って勝手がわかっているらしく合理的に火を起こしていた。また準備も万端で防寒具からライトまで一通り揃えているようだった。この子達と一緒なら大丈夫そうだと安心する。
夜になって僕の懐中電灯が大活躍した。最初買うときにいらないと言っているのにそんなものを買ってと冷ややかな目で見られたのだが、僕の経験上、明り、火、防寒具、水および食料は山では絶対的な必需品と確信に近いものを持っているので、それが確保しない限りはもう山でのテントは嫌だといってあえて無理を言って自腹で買ったのだが、やはり無いと困るものだというのが、彼女達にもわかったみたいだ。 事前に備えるという感覚は日本人特有のモノなのか、タイ人がたまたま持ち合わせていないだけなのだろうか。 ただこの日はティアップ達が良いクッションになってくれたのか、ポム以外の皆ともトランプをして遊んだり、僕のギターで歌を歌ったり、僕が皆に日本語を教えたりして多いに盛りあがった。 トランプは前に1度大貧民(大富豪?)に似たゲーム、タイ語で奴隷(富豪は王様)という意味らしいそれをやった時、少しルールが違ったので戸惑ったが今日はババ抜きならぬ「ジジ抜き」(ジョーカーを入れず52枚のカードから1枚抜いて遊ぶババ抜き)で遊ぶ。 ルールは日本と同じだが、違うのがタイ語でこのゲームをお婆さんの飲む水と言うだけあって、負けたものが水をイッキ飲み?しなくてはならないルールになっている。 前回はルールの違いで戸惑ったが今回は勝手知ったるゲーム、負けはしないと大人気無く勝たせてもらう。(普通唯一の大人?である僕はわざと負けてあげていいものだが) また日本語を教えてくれと言われたのだが、ただそのまま教えたのではつまらないとフルつき?で、できるだけ汚い言葉を教えてあげることにした。 たとえばgoodは「やるじゃん」と親指を1本たてるとか、niceは「いいねえ」と親指と人指し指2本で、Hiは「オイッス」とドリフのいかりや長さんの物真似で、no problemはゆっくりとした口調で「ばかねえ」と相手を軽く叩く等など。 エーとジーンがまた漫才コンビのように面白おかしくやるものだから、皆で腹を抱えて笑った。この旅にでてからというもの、どうもどこかチグハグな感じがして気持ちが消化不良を起こしていたのだが、この日はタイ人も日本人も同じ人間として1つになれた気がする。 また夜は少し寒かったものの、この日は何とか眠ることができた。
翌日はまたヒッチハイクで近くの山の国立公園へ行き午前中は3時間程かけトレッキングをする。 アップダウンの激しい山道で少しハードだったが、途中川や小さな滝があったり展望コースがあったりと自然を満喫することができた。 午後から少し遠いが美しいと有名なメーサー滝を見に行く事になっていた。しかしまた例によって予定にない寄り道が急に2つほど増えたため中止になる。タイには計画性とかプランニングという言葉が無いのだろうか。 チェンマイに戻るのも例によってヒッチハイクだったのだが、この乗せてくれた人達が途中川で水遊びをするといってまあ割と小奇麗な?川に立ち寄った。 ここでこの人達は服を来たまま着替えもせずに皆川で泳いでいる。 僕が驚いてポムに皆服着たまま泳いでいるよというと、何か彼女の機嫌を損ねたのかポムはその人達の方へ向かって歩き出し、彼女も一緒になって服を着たまま泳いでいた。 僕は少し責任を感じてジーンに貴重品を預けてその後を追う。できるだけ濡れない様にと思っていたが、やはりというか滑りやすい岩場だったので足をとられて結局一緒に服のまま泳ぐ羽目になった。 どうしたの?とポムに聞くと、何でもないただ暑いだけと言っていたが、日本語の通じるポムですら時々わからなくなるときがある。知れば知るほどタイ人はわからない。
ティアップ達とは昼過ぎにトレッキングの後別れたのだが、彼女達が探してくれたというホテルにこの夜は泊まる。 1泊380バーツと今回の旅からするとかなり高額ではあったが、エアコンとバスタブにホットシャワーがついてこの値段だったので、かなり割安感があった。またこの日はジーンのリクエストでデパートに寄り、ポムのリクエストでMKのタイスキを食べる。久々に文明的な時間を過ごし僕もホッと一息つく事ができた。 旅も残り僅かだったので、ポムと帰り道この旅について振り返りながら少し話す。 タイの学生の旅は皆こんなにハードなの?と聞くと、ううん、これはポーンスタイルと言って笑っていた。ポムは元々体があまり丈夫では無く、持病があって長距離の旅はいつもお父さんと一緒とのこと。ヒッチハイクのこともばれたら殺されると言っていた。いわばお嬢様である。 一方ポーンはバンコクからプーケットまで往復すべてヒッチハイクで何台も乗り継いで行ってしまうというツワモノで、彼女はカメラマンの血が騒ぐのか、撮りたいものがあるとまわりの事などお構いなしになってしまうところがある。元々タイ人には自己中心的な所があると僕は思っていたが、他の皆も今回はさすがにハード過ぎるというのが本音のようだった。
翌朝市場へ寄った後、ポンのおじさんがトラックで迎えにきた。今日はこのランパ―ンという所に済むポンのおじさんの家で泊まるという。 さすがにこれには僕も一緒というわけにはいかないので、何度も辞退を申し出たがタイでは大丈夫と諌められ結局一緒についていくことになった。 おじさんのトラックの荷台に2時間程揺られて、ランプ―ンという街のワットプラタートハリンプンチャイというこれまた長ったらしい名前のお寺に立ち寄る。 ブッタの生涯が書かれているという壁画がものすごく綺麗で、思わず見入ってしまった。 それから木彫りの工房を見学した後ランパーンの郊外にある農村のおじさんの家に泊めてもらう。 このおじさんもいい人でいたれりつくせり歓迎してくれる。ご飯も作ってくれビールも勧められて久々に口にした。 僕はコップに1杯で遠慮したが、おじさんはこの後3本も空けたらしく酔っ払って皆に絡み非難轟々だったが。
またこの日は見たいドラマがあるといって皆テレビに釘付けになっていた。どんなものかと思いきや日本のドラマで反町隆と江角マキコが出ていた。ただタイ語の吹き替えが異常にズレズレの上棒読みでひどい違和感があった。
翌日最終日はタイ保護象センターというところで象のショウーを見る。また象にも10分50バーツ、約150円で乗る事ができたので、僕とポム、前回のっていないポーンとポンの4人で2頭の象をお願いする。 ただ今回乗った象は20歳のおばあさんで、首のところにも乗せてもらえなかった。
その後さらに車に揺られて滝に行く。ポムが歌ってくれというのでトラックの荷台でギターを取り出しものすごい風に振り落とされそうになりながら?自分の歌を歌う。調子に乗って延々と30分以上歌いつづけてしまった。 滝に着くと例によってポムは服を着たまま泳いでしまう。今回はエーも巻き添えを食って水浸しだった。 急に大雨に降られしばらく雨宿りをした後、近くに温泉があると言うので行ってみる。 皆はホットシャワーで1人5バーツのを、僕は20バーツだして温泉の方に入る。実は結構温泉には日本にいるときから目がなかったりする。 それからまた列車に乗るためランパーンの街に移動するが、駅で今日はもう空席がないよといわれてしまう。 ただ長距離バスに空きがあり、夜8時半に出て翌朝5時過ぎに着くというのでそれに乗ることになった。これで料金が315バーツ、約945円。 まだ2時間以上時間があったので夕食を済ませた後、馬車でランパーン一周というのに皆で乗った。 ランパーンの街は思った以上に都会でかなり広かったが、夜の街を馬車で走りながらもうすぐこの旅が終わるかと思うと少し寂しい気持ちがした。
バンコクへ向かう夜行バスの中で今回の旅を振り返る。 僕はタイという国が好きだ。食べ物は美味しいし、何でも揃っていて物価も安い。でもタイ人については正直あまり良い印象を持っていなかった。1ヶ月以上いるというのにいまだにタイ人というのがさっぱり判らないでいたせいもあった。 それもあって今回ひょんな事からタイの学生と一緒に旅をするチャンスを得て、ひょっとしたら何かわかるかもしれないと思い期待していたのだが、やはり何もわからなかった気がする。 やっと何かがわかりかけてきたところで、ふっとすり抜けるようにまたわからなくなってしまうそんなことが多かった。 ただその中で1つだけわかったのが、やはり日本人とタイ人はまったく違う人種だということ。 見た目もよく似ていてポムとなど日本語でコミュニケーションが取れたりするものだから、時々彼女がタイ人であることを忘れてしまう時がある。でもやはり僕達は違うんだというのをまざまざと見せつけられた旅だったそんな気がする。 でもその中で反面、同じ人間なんだと感じることも幾つかあってそれを見つけられただけでも僕はハッピーだった、それだけでも皆と旅ができてよかったよとそうポムに話すと嬉しそうに笑っていた。
僕はそろそろ次の国に移動する頃かなと、窓の外を流れる夜景をぼんやりと見つめながら皆と別れる寂しさの上に、新しい明日の1ページを重ねることを決心した。
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