旅日記29  タイ編 Vol 11
「さらばバンコク!さらばイランド!」

 

325日〜29

 

  北部から朝5時にバンコクに着いたあと、僕はポム達と別れていつものゲストハウスにチェックインし死んだように眠り続けた。

 夕方4時頃起きて洗濯をしたり、ご飯を食べたりとただひたすら日常生活的に終始する。ところが夜寝る前になって重大な事に気がついた。「やばい。リコンファームが今日までだった。」

 リコンファームとは飛行機の予約の再確認で、通常出発の72時間前までに行う。最近はこの面倒な手続きをしなくてもよい航空会社が増えたが、今回僕がシンガポールへ向かう時に使用するビーマンバングラディッシュはこれを必要としていた。

 いままで乗った飛行機の多くはこのリコンファームのいらない航空会社だったが、唯一必要としたのが、タンザニアのザンジバルからケニアに戻るときに使ったケニア航空だった。

 だがこれもお世話になったサオリさんの「私はいつもしていない」の一言で僕もしなくても大丈夫という勝手な解釈に変わり、事実リコンファームなしでも何の問題も無く飛行機に乗れた経由があった。

 ただこのビーマンバングラディッシュ航空は、週に1本しかフライトが無い。これを逃すと1週間先になってしまう。それは辛い。

 本来なら72時間前というのは明日の午後250分だったが、土曜の午後、日曜祝日はオフィスが閉まっている。

 でもこの日の僕は、もしも乗れなかったとしてもそれも縁ということで南の島でもいくとしようと相変わらずのお気楽ぶりを発揮しそのまま寝てしまった。

 しばらくいたせいでタイ人化した訳では無いが、終わったことをあれこれ悔やんでもしょうがないと思ったのである。

 

 翌日は特別なにをすることも無くだらだらと1日を過ごし、北部の旅で溜まった疲れを取る事にした。唯一した事と言えばいままでため込んだ日記をまとめて付けたことぐらいだろうか。

 日記をつけながらタイ北部を駆け抜けた10日間を振り返ってみる。

 確かにとても大変で疲れた10日間だった。一緒に過ごしてみて初めてわかるカルチャーショックもあったし、言葉が違うことによって起こるコミニュケーション不足から、いらぬ誤解をしたりもした。

 しかし終わってみると何故だかたまらなく寂しい気がする。

 ほっとしてはいるのだが、それ以上にもう少し一緒に旅をしてみたかったというそんな気持ちに不思議となっていた。終わってみれば結構楽しい旅だったのかもしれない。

 

 翌日は例のトラベラーズチェックの決着をつける日だ。あれから3週間たっているのでもう結果はでているだろう。

 しかしフロリダに電話してみると予想していたとおり換金されてしまった以上再発行はできないという答えだった。

 ストップが間に合ったと言ったじゃないかと食い下がるが、こちらが停止をかけても使われてしまうこともあるのだと言う。でもそれではトラベラーズチェックの意味が無い。

 もうこれ以上議論する余地は無いというので、自分はこの決定に不満があるので、そちらが再発行に応じないというなら日本で裁判をする用意があることを伝えると、どうぞご自由になさって下さいという回答だった。

 予想していたこととはいえ、2ヶ月耐え忍んだトラブルの結末に僕は大きな憤りを感じていた。しかしこの事はこれでひとまず終わりにして、あとは旅が終わった後日本でしかるべき処置をとるとして、明日からまた新たな気持ちで旅をしようと決意する。

 いつまでもこの事で悔やんでいては、せっかくの旅が台無しになってしまう。

 

 夜メールチェックをするとポムからメールが来ていた。北部の旅について謝るメールだったが、僕はそれなりに楽しんでいたし別に彼女が悪い訳でもないと思っていたので、気にしないでといった返事を書いておいた。

 ただもし時間があれば電話をくれという一文があったので、明日がタイにいられる最後の日だしと以前もらっていた電話番号をまわしてみる。

 電話で話をするとポムはあれからやはり風邪をひいたらしく、今日も病院に行ってきたとのこと。ただ僕が明後日タイを発つつもりであることを話すと非常に残念がってお別れタイスキパーティ?をすることになった。

 

 翌日4時にいつものサヤームセンターのマクドナルドで待ち合わせだったので、10分前に店に行く。するとポムが友達3人と一緒にすでに来て待っていた。

 自分の方が先に着いたつもりだったので、何時から待っていたのか聞くとサヤームスクエアをぶらついた後3時半からここにいるとのこと。

 まだ少し夕食には早かったので、そのままサヤームセンターのビルの中やサヤームスクウェアをぶらついて時間をつぶす。

 彼女達はやはり国籍は違えどそこは女の子、ひたすら洋服屋をあちこちと覗いていた。 

 僕はというとこれまたやはりというか、楽器屋が一軒あったので覗いてみる。するとちょうど今セールをやっているところだった。

 タイ製の安物のギターで1本気になるのがあったが、時間も金も無いことだしとそのままポム達と一緒にマーブルコーンのMKに行くことにする。

 タイスキを腹いっぱい食べ、どうしてタイはこんなに食べ物が安くて美味しいのだろうと、これで食べ収めになることを名残惜しみながら最後の晩餐を皆と一緒に満喫する。

 代金は5人で900バーツ、日本円で約2700円だったので最後だしと見栄をはって僕が出すよと言うと皆大ブーイングでワリカンを主張する。

 最後くらいはおごらせてくれと粘るがどうしても聞き入れてもらえなかったので、しかたなくワリカンにすることにした。1人あたり180バーツ、約540円。

 

 食後もしばらくサヤームで彼女達は買い物を楽しんでいた。ポムがどこか行きたいところは無いかと言うので、さっきの楽器屋をもう一度見たいことを話す。やはりさっきのギターがずっと気になっていたのだ。

 僕の旅用ミニギターの調子があまり良くなく、いずれ買い換えようと思っていたのだがあれからタイでもあちこちに楽器屋があるこを知りいろんな弦を試してみた。

 するとマーチンをはじめとするそれなりにしっかりとしたブランドの弦よりも、どこのものかもわからない安い弦の方がしっくりと来て、なんとか使い物になる最低限の状態までは持ってきていた。

 それで騙し騙し使っていたのだが、それでも他に安くていいギターがあれば思いきって買ってしまいたい気持ちに変わりはなかった。

 

 皆もついてきてくれるというので、先程の楽器屋に戻り試奏させてもらう。するともちろん良いギターとはお世辞にも言えなかったが、それ程悪いものでもなかった。

 値段を聞くとケース付きで550バーツ、日本円で16500円。エレアコでこの値段なら悪くはない。

 もう少し値切れないか粘ってみたが、すでにセール値段とかでこれ以上は駄目だと言う。しかたがないので思いきってカードで購入してしまった。確かめていないがまだそれくらいは日本の口座に残っていたと思う。

 

 思いがけず新しいギターを手にすることができた。しかし次なる問題は前に使っていたミニギターである。とてもじゃないがギターを2本持って旅をすることはできない。かといってこれまで一緒に旅をしてきたギターを捨てるのは嫌だし、日本に送ろうにも送料だけでギターの半額くらいの値段になってしまう。

 少し考えてからポムに僕のギターをもらってくれないか申し出た。

 彼女はもらえないと頑なに辞退したが、僕の事情を説明し、また自分はタイでたくさん楽しい思い出ができたので、そのタイに自分と共に旅したギターをプレゼントしたいんだと話す。

 するとポムはじゃあ今度会うときまで預かるということだったらOKと言った。

 僕的にはそのまま受け取って欲しかったが、これ以上言っても彼女の気持ちは変わりそうになかったので、とりあえずそれでOKにする。もっとも次会う機会がもしあったとしてもそれは君にあげたものだからと言うつもりではあったが。

 

 ポムの友達が僕の歌を聞きたいと言っていたので、皆に僕のゲストハウスの前までついてきてもらい、2ヶ月共に旅したギターで最後に自分の曲のバラードを歌うことにした。これで僕はタイに対してのお礼とお別れにしようと思ったからだ。

 歌い終わってから、サンキューバンコク、サンキュータイランドとギターに向かって呟きポムに手渡す。

 我ながら少しキザかなと思わないでもなかったが、自分の気持ちに正直でいたいと思ったのでこれでいいと思った。

 このまま終ればドラマの1シーンみたいだが、これで終わらないのが僕らしいところである。

 「やばい忘れた。」

 先程ギターを買ったお店で試奏をする際、持っていた手帳をそのまま置いてきてしまった。とりたてて貴重品などは入れていなかったが、それでも日本の友人や旅で出会った人達のアドレスなどが書いてあったので、無いと困るものではある。

 急いで取りに戻る事を伝えると皆も一緒についてきてくれた。

 しかし店に戻るとすでに閉まってしまっている。しかたがないので明日の朝ここに寄ってからシンガポールへ旅立つことにする。

 

 ポム達と別れて自分の部屋で荷造りをしながら、タイであった出来事を思い出す。本当なら1週間の滞在予定だったのがTCの件があり2週間以上になって、アフリカから戻ってからも1ヶ月もいてしまった。それでも本音を言うとまだここにいたいそんな気がする。

 タイにはソンクラ―ンというタイの正月があり、その日は皆水鉄砲やら水の入ったバケツを持って所相手かまわず水をかけあうお祭りがある。それが来月の413日。

 ただ僕はビザなしでタイに入っているので、43日までしかいられない。ソンクラ―ンまでいるには一旦他の国に出る必要がある。

 もしTCが再発行されればインドに行くのも悪くないかなと思っていた。しかしそれも駄目になった。またプーケットなど南の島に一旦行って、そのままマレーシアに抜けてから再入国することも考えた。でもそれをすると僕はきっといつまでもタイに居続けてしまうような気がしてならない。

 次に進まなければ……この旅だけはきちんとやり遂げたい。前に進もうという気持ちがあるうちにできるだけ前に進んでおこう。これでいいんだ…..そう自分に言い聞かせてやはり明日旅発つことにした。

 

 翌朝目を覚ますと、ものすごい雨が降っていた。雨というよりスコールに近いかもしれない。僕がバンコクで見る初めての雨だ。

 宿に傘を借りて10時になったので昨日の楽器屋を覗いてみる。まだ開いていない。11時かなと思いさらに1時間後に行ってみる。まだ閉まっている。

 弱った。手帳が無くても何とかなるにはなるが、やはりこのままにしておくことはできない。この雨といい今はタイを離れる時期では無いというのだろうか。

 もう30分だけ時間をつぶして、もしこれで駄目なら出発を延ばすつもりでいた。

 11時半に店に行くとちょうど店員が店を開けるところだった。彼も僕を覚えていたらしく、僕を見るなり手帳を奥から出してきてくれた。

 礼を行って宿に戻り荷物を持って空港に向かう。

 宿の人達とも親しくなりおばさんたちも名残惜しそうだったが、また来ますと言ってお別れをした。

 BTSでモーチットまで行くとしばらく小ぶりだった雨が、また勢いを増して激しく降りつけていた。そこからタクシーに飛び乗って空港に向かう。

 しかし事故があったらしく、またこの大雨も重なって酷く渋滞している。

 いつもなら15分もあれば着くのだが、10分以上も余計にかかってしまった。原因は長距離バスの事故。電柱が折れバスも大破していた。

 

 空港に着くとフライトまで1時間半を切っていた。リコンファームをしていなかったので不安だったが問題なし。というのもビーマンバングラディッシュ航空のエコノミーは自由席とのこと。飛行機で自由席って初めて聞いた。

 

 時間になって飛行機に搭乗するとおそらくタイはトランジットであったろう人達がすでに席を占拠していた。その中でもこの航空会社にとって僕達外国人と違い、自国から行商にきたと思われる方々が異様な雰囲気と異臭を放っておられた。僕はたまたま空いている席をみつけたが、前後はやはりその方々である。

 はっきりいってあまりの臭いに鼻が曲がりそうだったが、他に席もないのでたかだか2時間のフライトと我慢する。ただこの人たちは離陸時も着陸時にも勝手にベルトをはずして立ち上がってお仲間同士で話をしようとしたり騒いだりして注意されていた。もっともスチュワーデスも半ば諦め顔だったが。

 

 シンガポールについて当初泊まるはずだった安宿に行くが時間がすでに夜の7時を回っていたので部屋がふさがっているとのこと。ドミトリーならOKと言われたが疲れていたし、何か良くない事が起こりそうなカンがしたので泊まるのはよす事にした。

 そこからまた重い荷物を担いで地下鉄に乗って前回泊まったホテルに移動する。

 このホテルは今の僕には高すぎる宿だが、僕の中の第6感が今日は安全第一を告げていたのでそれに従った。

 宿に着いて洗濯をしシャワーを浴びた後メールチェックする。するとポムからメールが来ていた。

 内容は僕と入れ違いであの楽器屋に電話をしたこと、空港まで見送りに来ようと思っていたこと、僕のあげたギターがあるので誰かに習おうかと思っていることなどが書いてあった。

 別れは辛いですねというメッセ―ジに、僕も同じですとコメントを重ねる。空港の見送りはまたいつかきっと会えるでしょうからいりません、その時までにギターを練習して今度会った時に聞かせてくださいとローマ字打ちした返信を出す。

 

 何度経験しても別れは辛い。人と出会った数だけいつか別れがくる。

 でもまたきっと新しい出会いが僕を待っている、それにこれで一生会えないと決まった訳ではないじゃないかと自分を励ました。

 そして僕は机の上に次なる大陸、オーストラリアの地図を出して広げた。

 

 

 

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