旅日記32 オーストラリア編
Vol.2 「東海岸の島々を訪ねて」 |
4月5日〜11日
朝10時にシドニーのホテルをチェックアウトする。ためしに聞いてみるとホテルで荷物を預かってくれるというので、帰路もう一泊このホテルに泊まるのは財政的に厳しかったが、業者に預ける手数料を考えればまあ同じ位かなとお願いした。 外に出てみると今日も相変わらずの雨で、特に何をするというわけでもなく1日を潰し4時半発の列車に乗り込んだ。 XPTという州都間を走る列車で14時間かけてブリスベンに移動する。当然のごとく高価な寝台車に乗れるはずもない僕はエコノミーの座席での移動。あまり広くない硬いシートで一泊を過ごす。 ただここで問題だったのがたまたま隣に座ったおじさんが、体格が良い上に胃か歯でも悪いのかかなり口臭がきつかった。おじさんに背を向けて寝るがまったく効果が無く、おかげで殆ど眠れなかった。
翌朝6時にブリスベンに着くもここもまた雨。とりあえず駅のインフォメーションで地図を貰いユースホステルを目指す。10分程歩きレセプションに着く。 3人部屋なら空いているとのことでチェックインすることに。1泊17$、約1000円。昨夜殆ど寝ていなかったので、とりあえず昼まで眠る。
昼過ぎに目を覚ましこの近郊の名所というローパインコアラサンクチュアリへ行く事にした。 街でバス停を探し歩きまわるが、判り難くなかなか見つからない。そしてこのときにちょっとした事件が起こった。 街の中心部にあるアデレードストリートを歩いているときに、縦列駐車しようとした車が後も見ずに急にバックしてきた。ドンという鈍い音と共に激しい衝撃が走る。 たまらず「痛てえマジかよてめえ!」と日本語で叫ぶと、それに気付いた運転手が窓を空けて一言「ソーリー」と言って走り去る。 幸いスピードもでておらず、5分もすると痛みは引いたが、まったくソーリーじゃないっつうのと、ぶつぶつ独り言をいいながらしばらく怒っていた。
人づてに聞いて回りやっとの思いでバス停を見つける。しばらく待った後やってきたバスに飛び乗ってローパインに向かった。 ここはオーストラリアでも最もコアラが多いと言われる所で、着くなり早速コアラを見て回る。 小雨が降り続く中、しばらくコアラを見ていると、そのうちの一角でコアラを抱いて記念撮影というのがあった。 写真はいらないが一度抱いてみたいと俗物根性丸出しで抱かせてもらうことに。これで11$、約700円。ちょっと高い。 その後放し飼いになっているカンガルーにハンドトゥマウスで餌をあげる。ただこの日は天候のせいか人が少なく、すごい勢いでカンガルーが集まってきて、あっという間に十数等のカンガルーに囲まれる。体格もけっこういいのでさすがに少しびびる。 30分程餌をあげて気が済んだので、ベンチに座ってアイスクリームを食べながら一休みする。するとしばらくして孔雀がやってきて何かおくれとねだってきた。 アイスのコーンの部分を少しくだいて手のひらにのせ差し出すとすごい勢いで食らいつく。よほど腹がへっていたのだろうか、自分の昼食の代わりにと買ったアイスを半分近く孔雀に持っていかれた。 食べ終わって餌がなくなったことを確認すると、恩を仇で返すように知らん顔で走り去る。しかし入れ違いに今度はエミュがやってきた。 ダチョウを一回り小さくしたようなオーストラリア特有の鳥なのだが、こいつも同じように餌をねだってくる。 もう無いんだと手を広げて見せると、何だしけてやがんなといった一べつを投げかけてどこかへ行ってしまった。
ユースに戻ると中国人の青年が部屋にいた。朝は僕と入れ違いに白人男性がチェックアウトして部屋を出ていったが、今日は彼と相部屋らしい。 しばらく世間話をするが、共通の話題も無く彼も疲れていたようですぐに食事に行ってくると部屋を出て行った。僕もユースの食堂で夕食を取ることにする。
食事の後シャワーを浴びて他にする事もなかったので、1Fの休憩室に降りて行くとカップルらしき日本人がいたので話かけてみる。 すると彼達はワーキングホリデーでブリスベンに来ているとのこと。他にも2人いるんですよと話しているとちょうどその2人も帰ってきて、一緒にしばらく話込む。 中でも元サッカー選手だったというジン君とはサッカーの話で盛りあがる。この時ちょうどTVでヨーロッパのチャンピオンズリーグの試合が放送されており、彼と一緒に観戦した。
翌日は夕方6時の列車まで時間があったので、ギターを持って公園でのんびりと過ごす。 せっかくだからと夕方この街の中心にあるクイーンズストリートでストリートライヴをやった。 一曲目が終わったところで、となりのベンチに座っていたおじさんが頑張ってなと60セントを入れてくれた他は30分以上たってもまったく金が入らない。4〜50分くらいしたところで、昼間歌いつづけていたせいか疲れていたので、引き上げてきてしまった。 ジュース1本も買えない成果に少し悔しい思いをしながら、ユースでその事を昨日のワーホリの皆に話すと、ジン君と仲の良い女の子が私も聞きたかったなどと嬉しい事を言ってくれた。 そろそろ列車の時間が近づいたので荷物を持って皆に別れをつげ、駅に向かおうとするとジン君と先程の女の子が、同じ方向なのでと見送りについてきてくれた。 お礼とお別れを兼ねて駅前で1曲自分の歌を歌う。 この日のストリートライヴは散々だったが、少なくとも小さな友情という名のコインは歌を通して得ることができたかなと、歌い終わった後そう思った。小さなモノでも何か得るものがあればそれでいい。
列車で11時間揺られて次なる目的地ロックハンプトンへと着いたのが朝の5時半。この区間は本来ならオーストラリアで最速といわれるティルトトレインという列車に乗りたかったのだが、あいにく満席で泣く泣くアウトバックという列車に乗った。しかしこれが大正解でシートも広く空席が多かったので、前回と打って変わって快適に眠ることができた。 駅で6時まで待ってバスでロスリングベイという港へ移動、そこからさらに船で45分かけてグレートケッペル島へと移動する。 ただこの日は風と雨が強く波も高かったので船が激しく揺れる。延々とジェットコースターに乗っている気分を味わいながらグレートケッペルに辿り着いた。 たぶん後10分着くのが遅ければ間違い無く吐いていたと思うような瀕死の状態でバックパッカーズのドミトリーにチェックインする。ここも17$、約1000円。
本来ならここで白い砂浜と青い海を満喫する予定だったが、雨こそ小降りになったものの風が強く、Tシャツ1枚では寒いくらいで誰も泳いでいない。 砂浜で座ってしばらく海を眺めていたが、せっかくだから何かしようとブッシュウォーキングへと出かけることにした。
この島はなかなか大きな島で、無数のビーチの他、山やハイキングコースもある。砂丘があるというので、そこまで行ってみようと歩き始める。 しかし行けども行けどもそれらしきものが見えない。宿で簡単な地図を貰ったのだがどうやら思った以上にこの島はでかいらしい。
途中で道に迷ったのか、どんどんと人里離れた山の中へ入っていってしまい、道も険しくなってきた。よわったなと思っていると少ししてひらけた場所に出た。ほっとするのもつかの間何やら大きな動くものがいる。 不思議に思いその方向へ歩いていくと、かなり大きな生き物が草を食べながらこちらを見つめている。動くものの正体は3頭のラクダだった。
なぜこんなところにと酷い違和感を覚えながらも先を急ぐ。しばらく行くと本線に戻ったのか道も広くなり、現在地も地図で確認できた。 途中羊や鶏の群れのいる牧場を抜けて海岸部に出る。誰もいない無人のビーチでしばらく海を眺めながら休んでいるとまた雨が強くなりはじめた。 早めに戻ろうと先を急ぎ目的地に着いたのは結局リゾートを出てから2時間半後。 砂丘は確かにそこにあったのだが、足がズボズボとハマッてしまう上にあちこちに子供の頃ひっつき虫?と読んでいたトゲトゲの種子を持つ草が無数に生えており、歩くたびに足にくっいてうざったい。結局ここでは5分もしないまま引き返してきてしまった。 帰ってきてから調べてみるとこの日歩いた距離は往復で13キロ、時間にして4時間の道程だった。タイ北部でもよく歩いたが、一人でもやっていることは変わらない。
宿のドミトリーはかなり大部屋で、良い場所はすでに先客に占拠されており僕は入り口近くのベットで眠った。しかしここは窓が壊れており蚊も入ってきたい放題。またダニなのかよくわからないが虫に無数かまれたらしく目を覚ますと体中あちこちに赤い斑点のようなものができていた。殆ど何か伝染病にでもかかったみたいである。 痒みもさほどなかったのでそのままほおっておいたが、翌日もすごい雨だったのでこれ以上はたまらないとばかりに朝イチの船に乗ってロックハンプトンまで帰ってきてしまった。
とりあえず先を急ぐことにするが、生憎ケアンズ行きの列車は2日後まで無い。 ただ調べてみるとケアンズの方向で途中まで行く列車が明日の朝あるようなので、とりあえず駅まで行ってみることにする。 しかし駅に着くとひっそりと静まりかえっており、入り口にはCLOSEの標識がぶら下がっていた。 時計を見ると朝の11時なので日曜は休みなのかと思い引き返そうとすると、偶然通りかかった車が止まって窓を空け中年のオージーが声をかけてきた。 どうしたんだいと言うので事情を話すと、今日からロックハンプトンは牛肉祭りだから街中どこも休みだよと言う。それは何ですかと聞くと、この一帯はオーストラリア有数の牛肉の産地でその収穫祭なのだと言う。他にもいろいろと詳しく説明してくれたが、イマイチよく理解できなかった。 これからどうするんだいというので、とりあえずユースへ行って泊まろうと思うんですと言うと、乗せて行ってやるから後ろに乗りなと、親切にも街の中心から離れた駅から繁華街を挟んで川向こうのユースまで、車で15分かけて用も無いのに乗せて行ってくれた。 おじさんにお礼を言って別れてドミトリーにチェックインする。15$、約900円。
街の地図すらなかったので、とりあえず中心部に行けばツーリストインフォメーションがあるだろうと出かけてみることにした。 雨は相変わらず降り続き、街はおじさんの言った通りどこも閉まっており、まるでゴーストタウンのようである。 それでも時折通りかかる人に聞きながらインフォメーションの前までやってくることができた。
中に入ると受け付けのお姉さんがどうしました?というので、無料の地図があれば欲しいのですがとあつかましく申し出ると、これをお使いくださいと1枚くれた。 ロックスは初めてですか、滞在の予定はと色々聞いてくるので、事情を話すとひょっとしたら何とかなるかもしれないと鉄道会社に電話してくれた。 すると明日の朝の列車でOKとのこと。ただ駅のチケットカウンターは明朝7時からで列車が朝6時発なので、列車の中の係員に言ってチケット変更するようにと言われた。 でもシートNOも判らず、本当にいきなり列車に乗ってしまって大丈夫ですかと聞くと上手く伝わらないのか、先程と同じ説明を何度も繰り返される。いやそれはわかったのですがと言うが、向こうもイライラしながらさらに同じことを繰り返していた。 これ以上はラチがあかないと、とりあえずお礼を言ってインフォメーションを後にする。 とりあえず明日の朝の便に乗れればこちらとしては問題無いのだからと、一抹の不安を覚えながらも宿まで来た道を引き返した。
夜になり腹が減ったので宿の近くのファーストフードでハンバーガーを食べる。ふと横を見るとコインランドリ―があったので、久々に大洗濯をした。 この旅に出てからというもの、洗濯はいつも洗面所で時には洗剤、時には体用の石鹸で手洗いして部屋で干していたのだが、初めて洗濯機と乾燥機という文明の利器を使い何と便利なものだろうと、日本では当たり前だったハズなのにいまさらながら感動する。たださすがに料金もそれなりで、全部あわせて5$60セント、約350円だった。
翌朝4時に起きて駅へ向かう。途中通りかかったタクシーを拾おうと思っていたのだが結局通らず、駅まで1時間近く歩いた。 言われた通り6時の列車に乗って、係員に昨日電話をしたのですがと事情を説明するとあっさり席を用意してくれた。チケット変更もしてくれたが、変更といっても係員がペンで一筆添えてサインしただけ。簡単なものである。
ロックハンプトンから次なる目的地ウィットサンデー諸島の最寄駅、プロサパインまで8時間かけて移動する。 久々の昼間の移動とあって、車窓を眺めているとさすがに牧場が多く牛、牛、牛と何処までいっても牛だらけである。 そんな中でひときわ異色だったのが柵の中にダチョウが10数頭飼われていて、さらに牧羊犬ならぬ牧ダチョウ犬がその2倍以上放たれている牧場があった。 最初エミュかなとも思ったのだが、どちらも何度もみたことがあり間違いなくあれはダチョウだったと思う。でもオーストラリアでダチョウを飼って何をするのだろう。
疑問は依然解決しないままだったが、それでも列車は雨の為1時間程遅れるも3時少し前にはプロサパインに到着した。 そこからさらにバスで15分かけてアーリービーチという港街まで移動する。 ここはウィットサンディーへのゲートシティーとして宿なども充実していると聞いていたからである。 早速この街でもユースのドミトリーに1泊宿を取る。ここも15$、約900円。疲れていたのかよく眠れた。
翌朝7時半のバスに乗ってシュートハーバーという港まで移動する。前日にウィットサンデー諸島へのクルーズを申し込んであり、今日の予定はハミルトン島とウィットサンディ島のホワイトヘヴンビーチへ半日づつ滞在することになっている。 ここで偶然同じバスだった日本人女性がいたので話かけてみる。彼女はジュンコさんといってこの日は別のクルーズだったが、ハミルトン島までは一緒の船ということでしばらく話をした。 彼女はグレートバリアリーフのアウターリーフへダイビングをしに行くとのこと。僕も本当はそちらに参加したかったのだが、今日僕が行くツアーの3倍の値段なのであきらめたのだった。すると彼女の話では今ちょうどキャンペーンで半額なのだと言う。 しまった僕もそちらにするんだったと少し悔やんだが、この後ケアンズでもチャンスがあるので、そこでお値打ちなクルーズを探すことにして、今日はホワイトヘヴンを満喫することにする。
ハミルトン島についたのでとりあえずインフォメーションで地図を手に入れる。何か無いかと聞くとマリンスポーツのアクティビティがあるというので、港の反対側のビーチまで歩いて行く。 ジェットスキーがノーライセンスで10分30$というのでやってみようとするが、今日は全部午後からで午前中はクローズなのだと言う。しかたなく港に戻ってアイスクリームをなめながらひたすら海を眺めて過ごす。これもまた贅沢といえば贅沢と心の中で寂しげに呟く。
午後船でさらに1時間程揺られてホワイトヘブンビーチへ到着する。ただ問題だったのはこの日関西の新婚旅行のツアーが一緒で、ひたすら場違いな僕は居場所が無く話かけることもためらわれ、何でこんな所で1人でいるんだろうと切ない気持ちに包まれながら大荒れの海の中船酔いと格闘していた。 ビーチに着いたはよいがまた雨が振り出してきており、このクルーズはビュッフェランチがついているとかで、食事をしながら雨が止むのを待つことになった。 そんな中で一人ぼっちの僕の相手をしてくれたのが、イタリア人のお姉さん2人組。 この船では日本食も少しメニューにあり、僕が味噌汁を飲んでいたのに興味があったのが、お姉さん達もインスタント味噌汁も持ってきて食べていた。 味はどう?と聞いてみると、うん美味しいと笑う。ただその時彼女達の味噌汁の異変に気付いた僕は思わず凝視してしまう。 何か変?と聞かれたので彼女の耳元でそっと1言僕は呟いた。「姉さん、それは猫のエサでっせ」 実をいうとインスタント味噌汁の隣にご飯がおいてあったのだが、どうやらそれも一緒なのかと思い、知らずに彼女達はぶっかけご飯にしてしまっていたのだった。 自分達の食べているのが「ねこまんま」だと判ると、彼女達も大爆笑だった。僕も一緒に大笑いする。
雨が止んだのを見計らって皆ぞろぞろとビーチへ出はじめた。僕も後から続く。するとさすが世界でも屈指の美しいビーチというだけあって、雲の間から太陽が顔をだしているときはまさに綺麗の一言だった。 雨のせいで少し砂は硬かったが、それでも所々鳴き砂になっており足の裏でその感触を楽しむ。 海の水も温かく気持ちよかったが、この時期はこちらでは秋にあたりクラゲがいるのか時々刺されて痛かった。
途中また少し雨に降られたが、それでもそれなりに美しいビーチを満喫し帰りの船に乗り込む。願わくばリゾートは1人ではなく女の子と2人で来たいと場違いな自分を呪いながらも船はハミルトン島へ戻ってきた。 ここで船を乗り換えてアーリービーチまで戻る。すると朝一緒だったジュンコさんも同じ船だった。彼女は一日この船だったとのこと。 今日の感想を聞かれたので散々でしたと笑うと、あちらは雨にも降られずなかなか良かったとのこと。ちょっと羨ましく思う。 ただこの一帯はアウターリーフまでは遠く片道4時間もかかるらしく、船酔いする人が続出したとのこと。僕ももし行っていたら悲惨な事になっていたかもしれず、今日はこれでよかったのだと自分をとりあえず慰めておく。
アーリービーチに戻るとせっかくだからとジュンコさんと一緒に夕食を取ることになった。 彼女はワーキングホリデーでこちらに来ていて今半年になり、今月から3ヶ月かけてオーストラリア1周のラウンドにでているとのこと。僕は東海岸縦断だけだったが、確かに数奇な自然が点在するこの国の正しい旅の楽しみ方は、横断でも縦断でもなく一周なのかもしてないと話を聞きながら納得させられる。 ただ広大な面積を誇るオーストラリアを一周するには2ヶ月では足りないくらいだと言っていた。
彼女と別れた後、バスも終わっていたのでタクシーでプロサパインへ向かう。15分だからたかがしれているだろうとタカをくくっていたら着いてびっくり、30$も取られた。日本円で約1800円。宿代2泊分、日本より高いくらいだ。 翌朝4時発の列車の為、今晩は駅のホームのベンチで寝袋を敷いて寝る事にする。さすがに2日に1本しか客車が通らない駅だけあって、乗客どころか駅員の姿すらない。トイレにまで鍵がかかっている有様だ。普段は無人で列車の到着前後のみ有人化されるのだろうか。 この旅初めての野宿で眠られるかどうか心配だったが、ものの5分で熟睡してしまった。繊細だと思っていた僕の神経も意外に太かったらしい。 外はまだ雨が降り続いていた。
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