旅日記39  アメリカ(USA)編vol.2
「夢の国ラスベガス」

5月8日〜12日

 朝8時に目が覚めた。体がひどくだるい。明らかに熱があるのがわかる。どうやら本格的に風邪をひいたようだ。  本当なら今日サンタモニカのユースをチェックアウトするつもりだった。しかしこれでは無理だと延泊の手続きをするためにレセプションに行くが、チェックインの際のレシートが無いとできないと言われ、それを無くしてしまった僕は、しぶしぶ動かない体に鞭打って荷物をまとめチェックアウトした。相変わらずアメリカ人は自分達で勝手にルールを作って、そのルールやマニュアルどおりの対応する。

 次はラスベガスと決めていたが、殆ど手持ちの情報が無い。ただ先日橋口さんに長距離バスのグレイハウンドのアドレスを聞いていたので、町のインフォメーションで行き方を聞いて、10番の市バスに乗ってダウンタウンへ向かった。

 熱で意識が少しもうろうとしていたが、それでも1時間後にはダウンタウンの7thストリートに差し掛かったので、下りますという合図のロープ?を引いてブザーを鳴らす。

 グレイハウンドのターミナルが7th添いにあると聞いていたので降りたのだが、それらしきものが見当たらない。しかもこのあたりはさすがに治安が悪いと言われているだけあって、街の雰囲気もあまり良いとは言えない。

 事実、金のなさそうなブラックアメリカン達が、時折金を恵んでくれと声をかけてきた。もちろんNOと言って無視をする。

 すると特に執着するでもなく、すぐに他の通行人に声をかけていたが、少し警戒心を強めて気持ちを入れなおすことにした。

 すれ違う人にバスターミナルを尋ねるが、発音のせいなのか、それともあちらも素性の知れないアジア人を警戒してか、さあ知らないと言って取り合ってくれない。

 少し歩くと警察官がいたので、尋ねるとまだかなり距離があるので、市バスに乗りなさいとバス停を教えてくれた。

   しばらく待ってバスに乗り20分程してグレイハウンドターミナル前へ到着した。

 オフィスに行くと、すぐこの後20分後のバスがあるというのでチケットを買う。最悪席が取れなかったらダウンタウンで1泊するつもりでいたのだが、これはラッキーだ。バス代が35$、約3800円。

 8時間程かけグレイハウンドの長距離バスは、次なる目的地ラスベガスのダウンタウンに到着した。

 ユースのアドレスだけ聞いていたので、とりあえずそこに泊まろうと、地図をもらうためツーリストインフォメーションを探すが見つからない。

 熱もかなり高くなってきたようで、もう1歩も歩けなくなってしまった。その時タクシーの運転手が何処へ行くんだいと聞いてきた。

 ユースに行きたいんだがというと、住所を聞いてきたので伝えると、わかったから乗れという。タクシーに乗る程、金に余裕があるわけではなかったが、他に方法もないので、しかたく後部座席に倒れこむようにして乗りこんだ。

 これで大丈夫かと思いきや、気付くとさっきから同じ所をぐるぐると回っている。どうしたんだと尋ねるとこのあたりにあるはずなんだが見つからないという。

 知っているといったじゃないかと語気を強めると、わかった今聞いてくるから待ってろと、車を降りて近くのモーテルで道を聞きに行った。それからさらに2,3度Uターンしてなんとかユースに辿り着いたのだが、運転手は運賃を10$よこせと言う。

 メータを見ると7$ちょっとだ。なぜだと言うと、苦労してユースを探してやった、だから10$払えという。知っているというから乗ったのに、本当だったら5$もしない距離だ。無茶苦茶だと押し問答を続けるが、風邪で1秒でも早く横になりたい弱みで、結局言い値の10$を払ってしまった。

 すぐユースにチェックインし、4人部屋のドミトリーのベットに倒れこむ。ここはかなり古く、決して綺麗とは言いがたいが、オーナーの老夫婦が親切なのと、1泊12$とアメリカにしては値段が安いのが魅力だった。しかもこの日は相部屋が誰もおらず、自分一人だけでぐっすりと眠ることができた。

 翌日、日本でお世話になった知人がラスベガスに用事があってみえるというので、MGMという高級ホテルに電話をする。しかし部屋番号がわからなかったので、つなげないと言われ困り果てる。次なる手段として、ユースに日本語リードオンリーだが、コンピュータがあったのでそこからメールする。

 しかしすぐに返事が返ってくるとも思えないので、とりあえず風邪を治すのが先決と夕方まで昼寝をした。夕飯時に起きて少し体調が良かったのでバスでMGMまで行き、レセプションから部屋に電話をつないでもらう。

 しかしお出かけのようで、留守電の無機質なメッセージが流れる。とりあえず手短に連絡先だけ入れてホテルを後にした。

  少し体調がよかったので歩いて帰ることにする。ここラスベガスブルーバードは、別名ストリップとも言われ、高級なテーマホテルが立ち並んでおり、それらが夜になると一斉にライトアップされるのだ。そのホテルをあちこち見て歩いてユースまで帰ったが、2時間以上かかってしまった。でもまるでおとぎの国でも迷い込んだかのようで、非現実的な一時だった。例えるならディズニーランドがそのまま本当の大都市になったかのようだ。

 でもさすがにまだ少し無理だったようで、部屋に戻るとまた少し体調が悪くなった。この日は早めに就寝にする。

 翌日昼過ぎまで知人からの返事を待ったが、お出かけのようなのでバスで空港へ行った。メールが1通入っていたが、メーラーのエンコーディングの問題なのか、そのメールだけが酷く文字化けして読めない。とりあえず留守電にメッセージを入れ、メールでも返信しておく。

 空港に行ったのは、持っている航空券のルート変更をするためで、現時点ではロサンゼルスイン、ニューヨークアウトのオープンジョーになっていたが、その間をバスか列車で移動するべく値段をしらべると4万円強かかることがわかり、経費削減の為トロントでのストップオーバーを減らして、その区間を飛んでしまおうと思ったのだった。

 しかし空港のアメリカンエアラインに行くと、ここではわからないといわれる。ここで変更ができると聞いてきたのだがと言うと、チケットを発券することはできるが、変更手続きはインターナショナルへ電話してくれと言われ、無理を言ってそこの電話を借りることになった。

 しかしなかなかつながらず結局1時間半程待ってやっと電話がつながった。それからさらに2時間半ほどかけて変更手続きをすませる。値段を聞くと手数料のみの75$とのこと。安心して電話を切ってカウンターでいざ発券となって問題が起こる。

 インターナショナルでは75$と言っていたのだが、カウンターの係員は235US$という。なぜだと聞くと、わからないがコンピュータがそう出してきているので、あなたは235$払わなくてはいけないと言う。

 それはおかしいので先程のインターナショナルにつないでくれというと、奥から上司の女性がでてきて、同じように235$払わないと変更できないとの1点張り。

 事情を説明して欲しいので電話をつないでくれと言うが、今忙しいので帰って自分でやれという。これまで5時間近く時間を費やして、往復2時間かけてきているのにそれは困ると粘るが、帰らないと警察を呼ぶとまで言われ、さすがにキレた。

 日本語で思わず、そんな対応あるかよ!と怒鳴ってしまう。すると本当に警察を呼ばれた。

 空港警察に事情を聞かれ、状況を説明する。すると彼いわく、君の言うことももっともだが、彼女が235$払うか、もしくはここから出ていってくれないかと言っている。出ていってくれないと強制的に退去せざるを得ないので、頼むから帰ってくれないかとのこと。

 あきらかにそちらの手違いでもか、説明も無いんだと訴えたが、自分はわからないが今は君のリクエストには答えられないという。

 本当に強制退去させられそうな勢いだったので、しかたなくこの日は引き下がった。

 空港でバス停を探すが見つからず、気が立っていたので途中まで歩いて帰った。それからバス停で待っていたが、なぜかわからないが3台も素通りされる。しかたなくまた歩く。思わず、「アメリカのばかやろー、お前なんて嫌いだ〜!」とそんな事を大声で口走っていた。傍目にはかなりあぶない人である。

 ユースに戻ると、今日昼間偶然知り合って話した若杉さんが待っていてくれた。一緒にストラトスフィアというタワーの展望台に行く約束をしていたのだ。

 ここは100万ドルの夜景が綺麗と言われており、実際それに名前負けしないすばらしい夜景が360度広がっていた。ラスベガスという街はますますこの世のものとは思えない。

 次の朝1番でMGMに電話すると、ようやく知人と連絡がつき今晩一緒に食事しましょうということになった。その後すぐにアメリカンのインターナショナル電話し昨日の経緯を話す。

 しかし調べてもらうがやはり75$で間違いないとのこと。ただこの時対応してくださったレイコさんという方が、とても親切な方で、空港に行って同じトラブルにならないよう、記録を残してくれるとのこと。またこう言えばぜったい大丈夫と、口上まで教えてくれた。

 その後空港に行き、レイコさんに教わったとおりのメッセージと、レコードロケーターという業務番号を告げると、2時間程待たされたが、無事75US$のみでルート変更することができた。

 夜になってMGMに行き、かねてからお世話になっている日本の知人に会った。その方のお名前は西口さん。以前よりいろいろと気にかけてくださっており、韓国でトラベラーズチェックの盗難にあった際も、日本でいろいろと動いてくださった方だ。

 今回はラスベガスでインターロップというコンピュータのイベントがあり、それでこちらに見えているとのこと。僕もコンピュータは好きなので、ご一緒させてもらおうと虫のいいことを考えていたのだが、今日が最終日だったらしい。あわよくば明日行こうと思っていただけにがっかりだ。

 とりあえず夕食にしましょうと、西口さんとそのお連れの方2人と一緒にダウンタウンのレストランへ行く。そこでアメリカンステーキをご馳走になった。

 ここのところ体調がすぐれなかったが、肉でも食べて元気をつけなさいと奮発してくださった。アメリカは食事がまずいらしいが、この日の夕食は美味かった。

 その後駅前にあるフレモントストリートで、ハイテクを使ったショー?を見る。これはこの通りの屋根が一面、夜のある時間になるとスクリーンに早代わりし、音と映像のショーが始まる。まわりの店なども一斉に電気を消し、商店街?ぐるみのエレクトリックショー?が行われる。テクノロジーもここまで来たのだなと関心させられた。

 西口さん達はこの後タクシーでホテルに戻って、カジノでリベンジされるというので、僕は途中ユースの前で下ろしてもらい、そのまま就寝。

 翌日、若杉さんが今晩の列車でロスに向かうというので、一緒にカジノへ行った。

 僕はすぐ熱くなるほうなので、ギャンブルはやるまいと決めていたのだが、先日西口さん達の話しの中で、MGMでスロットをやっていて、隣のおばさんが1千万円出して失神寸前だったと聞き、これは行かねばなるまいと、2人で勇んでMGMに行ったのだ。

 しかし西口さん達もかなりこてんパンにやられたらしく、僕達も行く前に50$負けたら、お互いを止めようと話していた。

 まずは一度やってみたかったルーレットに挑戦する。  若杉さんはギャンブルの才能があるのか、次々と当ててゆき、あっという間に30$ぐらいかせいでいる。僕も負けてなるかとはじめると、面白いように当たった。しかししばらくすると、何か上手い仕組みでもあるかのように途端に当たらなくなる。

 気がつくと2人ともマイナス20$まで落ち込んでいた。

 僕達がやりたかったのは、この前おばさんが10万ドルだしたスロットルさと、ゲームを変更する。

 またもや若杉さんは快調に飛ばし、コインを増やしていく。しかし一方僕はあっという間にマイナス50$まで来てしまった。

 本来ならここでやめる約束だったが、熱くなった僕がやめらるはずもない。さらに20$つぎ込む。しかしここで運がめぐってきたのか、マイナス20$、スロットでの原点まで戻すことができた。この勢いで一気にプラスへと意気込んだが、また負けが込んできてマイナス70$になってしまう。とっくに50$ルールは何処かへ行ってしまったようだ。

 これで負けたらしかたないとさらに30$つぎ込む。予定の倍の100$だ。

 しかしここで少し盛り返しマイナス50$まで負けを戻した。若杉さんも丁度時を同じくしてマイナス50$。これ以上やるとさらに負けると思いここで止めることにする。2人共最初の予定どおり?50$ずつ負けてジ、エンド。

 帰りはバス代が無いからと、ぶらぶら歩いてストリップのテーマホテルを見ながら帰ってくる。しかし2時間の道程はさすがにキツク足が痛い。

 ユースに戻ると、遅めの昼食と2人でパスタを作って食べたが、これが最高に美味かった。  夕方になって、あと3時間程で若杉さんがロスに向かう時間になったので、ギターを持って公園に行き歌を歌った。お別れの記念と言っても、金のない僕は歌う事くらいしかできない。  その後バス停まで見送り、また機会があったら東で会いましょうと手を振った。  ラスベガスはいろいろあったが、また1つ楽しい思い出ができたかなと、そう感じていた。      

 

 

 

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