旅日記45  アメリカ(USA編)vol.6
「This is NewYork?後編」

6月1日〜3日

朝ユースホステルのフロントに行くと、27$のドミトリーに空きがあるというので、そちらに移動する。

昼過ぎに昨日閉まっていた東京三菱銀行に行き、日本人スタッフを呼んでもらい相談するが、やはりニューヨークに住所があり、観光ビザ以外で入国していないと口座が開けないとのこと。換金も同じようにできないと言われる。

東京に同銀行の口座を持っているので、そちらに入金できないか聞くが、1ヶ月以上時間がかかるのと、手数料に60$近くかかるといわれる。65$のチェックを換金するのに、そんな手数料じゃ話にならない。

しかたなくボストンのアメリカン航空に電話をするが、前回と同じように、チェックに裏書きすれば和泉さんが、換金できるという。

できないと言われたらしいがと言っても、できると言ってきかない。しかたなくそれでやってみることにするが、これで駄目ならチェックはあきらめて、日本に帰国後、和泉さんにお金を振り込むことにした。

時計を見るとまだ3時前だったので、ギターを持ってストロベリーフィールズに行く。ジョンレノンの亡くなった場所で、彼の、そしてビートルズの歌を歌おうと思ったからだ。

3曲目位になって、ちらほらとお金が入りはじめる。また曲が終わるごとに、周りの人から拍手をもらえるようになった。しかし4曲に入った所で2弦がきれる。

弦を張り替えていると、おばさんがやってきて、ここでお金を稼ぐのは禁止よと言われる。無視していると、怒り出して係員を呼ぶと言い出したので、わかったよとお金を入れる缶をしまうと、どこかへ行ってしまった。

僕にとってはお金よりも、この場所で歌うことの意味の方が重要だったので、かまわず続けることにする。 レットイットビーを歌い終わると、周りからどっと大きな拍手が沸き上がった。そしてここで一番歌いたかった、イマジンを歌いはじめる。

すると歌っている途中で、今度は太った別のおばさんがやってきて、ここは皆の場所、それも特別な場所なの、だからあなたは歌うことができない、よそでやって頂戴と言われる。

曲の途中で、しかもイマジンを歌っているときにと、かなり頭にくるが、そのまま歌い続けていると、わかった、あなたが帰らないなら私が帰るわと行って、怒鳴ってどこかへ行ってしまった。 歌い追えるが、周りに気まずい雰囲気が流れる。

なんだが僕も嫌な気分になり、そのままギターを閉まって帰ってきてしまった。

心を込めて歌っている。でも俺の歌なんて聞きたくないという人がいる。自分自身の存在そのものが否定された気分だ。

でも一方でお金を入れてくれたり、拍手をくれる人がいる。もっと俺に歌ってくれという人だっているじゃないか!そうやって自分を励ますが、やはり今日の出来事は正直ショックだった。

自分の言葉で、ありのままの自分を歌おう。たとえ言葉が通じなくても、ギターがへたくそだとしても、そのほうが気持ちは通じるんじゃないか。

でもいくら前向きに考えようとしても、しばらくこのショックを引きずったまま抜け出せない。

自分自身の存在が、やけにちっぽけに思えて、、、悔しかった。

自分の為に歌おう、好きな歌を歌おう。そう心の中で何度もつぶやきながら、切れ掛かったギターの弦をはり直していた。

翌日、早起きしてユースからセントラルパークを横切り、メトロポリタン美術館へ行った。

セントラルパークはとても大きな公園で、足もまだ少し痛かったので、休み休みしながら移動する。すると時折すれ違う、ジョキングする男女や、無数の野リス達が愛敬をふりまいてくれた。

そして気づけば、前回のボストンと、大学時代に行ったルーブル、サンクトペテルブルク、そして今回のメトロポリタンで、4代美術館すべてを制覇したことになる。

しかし僕は絵画に対し、それ程許容範囲が広くないので、自分の気に入った絵は長く、そうでないものは、素通りしてと、あいかわらずの鑑賞をして、4時間程で出てきてしまった。

印象に残ったものは、エジプトものと楽器の展示品で、ベニーグットマンのクラリネットなども展示されていた。

また日本の浮世絵もあり、北斎のものが多かったが、それを見ていて日本へ帰りたいと思っている自分に気付く。少し弱気になっているのかもしれない。

宗教画には、まったくといっていいほど関心がなかったが、1枚だけばかに躍動感のあふれた絵があり、気になったので立ち止まる。近づいて名前を見てみると、ルーベンスだった。

この名前は、フランダースの犬で、ネロがどうしても見たがっていた絵の作者ということで、名前だけおぼえていたのだが、これを見てアントワープの教会に飾られている絵も、見てみたくなった。

時計を見ると、まだ2時過ぎだったので、バスに乗って近代美術間、MOMAへ行く。ここはメトロポリタンと並んで、ぜひ行きたいと思っていた場所だった。そしてここで3時間程過ごす。

それから地下鉄に乗って、エンパイアステートビルに行くが、ものすごい人だったので、そのまま上らず帰ってきてしまう。

観光ポイントとしては見逃せない場所なのだろうが、僕の旅にとってそれ程重要な場所とも思えなかったので、今回はやめにした。

旅にマニュアルはいらない、行きたい場所、好きな所へ行けばいいと思う。

そして翌朝は6時過ぎに目が覚めた。ベットでうだうだとするが、眠れなかったので、そのまま7時頃にレセプションに行き、延泊の手続きをとろうとする。

以前にも手続きをしようとしたのだが、ここは2泊以上は、当日の朝でないとできないという、なんだそりゃ的なルールを言われていたので、しかたなくこの日の朝になったのだった。

すると8時から受け付けをするので、その頃またこいと言う。

さらに時間をつぶし、8時に行くと、人が変わっていて、9時から受け付けるのでまた来いという。

さっき8時に来いと言われたから来たんだと言うが、今コンピューターがダウンしていて使えないから9時と言う。

まあトラブルならしかたないと引き下がるが、振りえると、次の客の対応にはちゃんとコンピュータを使って対応している。

あまりにもバカにしていると、延泊するのを止め、有料のバケージルームに荷物を預け、チェックアウトしてしまった。翌朝メキシコ行きのフライトが早いので、今晩は空港で寝ることにする。

時計を見ると9時少し前だったので、ロウアーマンハッタンまで地下鉄で行き、そこから船に乗った。行き先は、、、自由の女神。

時間が早かったのか、思った程混雑もなく船に乗れた。バッテリーパークからは、ちっぽけな女神像も、近づくとさすがにでかい。

中に入ろうと、入り口に進むがここはすごい人だ。1時間半程ならんで、やっとエレベータに乗って台座まで来ることができた。

本当は頭の冠のところまで階段があるのだが、この日は夏休みの土曜日だったせいか、クローズといわれる。残念だ。

しかしここでの目的は別にあった。それは女神像で歌うこと。

台座の所にあるベンチに腰を下ろし、ギターを取り出し歌いはじめる。

1時間程対岸に浮かぶマンハッタンを見つめ、ひた歌う。頬をつたう海風が心地良い。また行き交う観客の反応も上々だ。

時折、係員が通りかかったが、この日はあえてお金を入れる缶を用意しなかったせいか、何も言わず好きなようにやらせてくれた。最悪は強制退去も覚悟していたので、ありがたかった。

帰りの便は混雑していて、ここも1時間半ほどならんで、やっとマンハッタンまで戻ってくる。

図書館に寄って帰ろうとすると、42ストリート沿いにウィークエンドマーケットが出ていたので、ひやかして歩く。そこで黒い小さな財布を2$で買った。

これはこの後行く中南米で、万が一襲われた時に差し出す為の、ダミーの財布にしようと思ったからだ。

アフリカと違って、中南米ではお金を出せば命まではとらないらしく、最低200$もあれば、危害を加えられず、あっさり引き下がってくれることが多いと聴いていた。

何事もないにこしたことはないが、もしもの為の用心は、するにこしたことはない。

そこからさらに歩いて、ロックフェラーセンターへ行く。ここは冬になると大きなクリスマスツリーが飾られることで有名な場所だ。この日は花のイベントがあるとかで、飾り付けをしていた。

足がまた痛くなってきたので、無理をせずユースに戻ることにする。

夕食を作っていると、カズが帰ってきたので、2人でタラコスパゲティーを食べる。その後庭に出て、ギターを片手に1時間位歌った。

夜もふけてきたので、荷物を引き取ってカズに別れを告げ、空港へと向かう。

真夜中郊外に近づくにつれ、地下鉄の車内は黒人の割合がぐっと増し、目の前では黒人の母親とその子ども達が、仲良く寝息をたてて眠っている。そして僕はこの街での日々を振り返っていた。

ニューヨークという街、ここは日本で思い描いていたものと、実際に来てみた印象は驚くほど違っていた。

ここには、独自のリズムとルールがあり、それは僕にとっては用意に受け入れられる類のものではなかったが、それが良いか悪いか別として、そういったものが確かに存在し、ここではそれを受け入れなくては生きてゆけないようだ。

ただ1つ言えるのは、この街は休日に日々の疲れを癒しにくるような場所ではないということ。

夢や野望や、まだ見ぬサクセスを詰め込んで勝負をしにくる場所、いわば戦場だと思う。

だから皆自分のことに精一杯だし、けして優しく手を差し伸べてくれたりはしない。転んだら自分で立ち上がる、道がなければ自分で作る、そうしなければ誰も何もしてくれないのだ。弱いものはここでは生き残れない、そういった印象さえした。

地位やお金があれば、そういったものが自分を守ってくれる武器となり、今回とはまた違った印象となったかもしれない。

しかしもし次にこの街に来るときは、胸にとびきりの熱いものを詰め込んで、一勝負しに来たいと、そう思った。

さらば、あらゆるものが渦巻く戦場よ。

車窓には、いつまでもいつまでも無数の街灯りが、夜空の星のように光って写っていた。

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