旅日記49  チリ編vol.2
「モアイのむ島」

 

6月11日〜15日

宿に荷物を預けてバスに乗り空港へ向かう。今日はイースター島への移動日だ。

この日は日曜日だったのでほとんどの店が閉まっており、街で時間をつぶしてからというアテもはずれ、さっさと空港まで来るはめになった。

ただ僕はどこから空港行きのバスに乗るか知らなかったので、相変わらずさっぱりなスペイン語をならべて、人づてにバス停を探す。しかし思っていたよりも遠く、地下鉄で2駅くらい先まで、歩いて1時間ほどさまようことになった。

それでもなんとかたどり着いて、空港行きの青いバスに乗ったのだが、その時1つ面白い出来事があった。

道を聞いた人の中で、警察官が1人いたのだが、僕が日本人だとわかると何やらスペイン語で話かけてくる。

最初何か注意されたのかと思ったのだが、よく聞いてみると何かを日本語に訳してくれと言っている。でもうまく聞き取れないので、ノートに書いてもらい、辞書を片手に訳してみると、、、、おじょうさん、お茶でも一緒にどうですか、、、なんや、あんた警官のくせに日本人ナンパしたかったんかいっ!、と日本語で突っ込みを入れると、伝わったのか照れて笑っていた。

空港で4時間程つぶして、さらに飛行機で6時間程かけてイースター島へ向かう。ただ気流のせいか、ものすごく飛行機が揺れて、テーブルの飲み物が途中何度もバシャバシャとこぼれる。

隣に座っていたブラジル人の女の子は、ものすごく不安らしく、何度もスチュワートに、この飛行機落ちないよね、落ちないよねと聞いている。

彼も意地悪で、さあどうでしょうね、でも落ちるときは、救命道具が飛び出してアナウンスが入りますからなどと言っているようだ。

あなたは恐くないの?と聞かれたが、うーん、乗っちゃった以上もうどうしようもないしね、まあ落ちる時は皆一緒と、これまた意地悪く言って笑うと、ぷうっとフクれた後、プッと笑っていた。

それでも何とか無事に空港に到着する。すると職員にトランジットですか?と聞かれる。隣に座っていたブラジル人の女の子は、ええと言ってトランジットカードをもらっていた。

え?どこに行くの?と聞くと、さらにタヒチを経由して、ニュージーランドのオークランドまでと答える。

南米ではアジアへ向かう時も、このルートを使うと言っていた。でもイースター島経由、オーストラリア行きとか、日本行きって何か変な感じだ。

空港のゲートをくぐると、宿の客引きが次々に声をかけてくる。しかし皆件並み高い。

ふと横を見ると、ユースホステルのマークを持った人がいたので、聞いてみると確かにユースだと言う。

え?イースター島にユースなんてあるの?と驚いたが、ドミトリーで1泊1000円だったので、そこに泊ることにした。

迎えの車が来ているというので行ってみると、流暢な日本語で「日本人ですか?」と大柄な白人が声をかけてきた。

彼の名前はロス、以前日本に2年住んだことがあるというバンクーバー在住のアメリカ人だ。日本に興味があって、大学時代からずっと日本語を勉強しているという。目を閉じていると日本人かと思う程だ。

ロスと一緒に話していると、また日本語で「日本の方ですか」と声をかけられる。彼女の名前は井出さん。1年半程世界のあちこちを旅していて、3日前にイースター島に着いたとのこと。

え?今日は何で空港に?と聞くと、今ユースに人がいなくて話相手が欲しかったので、一緒に客引きに来たと言う。また島の遺跡を巡るのにレンタカーをシェアする人がいたらというので、それはこちらこそ願うところと、ロスと3人でシェアすることになった。

空港から3分程でユースに着く。イースター島の殆どの人がハンガロアという村に住んでいて、ユースもこのハンガロア村にあった。

僕とロスは離れのプレハブ小屋の、3人部屋のドミトリーを割り当てられる。部屋数は5つ程で10ー15人もいたら、一杯という小さなホステルだ。

宿の人はすごく親切だったが、建物は古く、部屋でもリビングでもゴキブリ達の洗礼を受ける。しかしここは南米の、それもかなり離れた小さな島、これがあたりまえと割り切って、この日だけでも10匹以上殺した。

しかしその翌日、昨日仕返しだろうか、朝からいきなりハプニングが起こる。

シャワーを浴びて服を着ると、ズボンの中で何やらもぞもぞと動く気配がある。恐る恐るズボンをそっと脱いで見てみると、、、、、、、やはりゴキだ。ぎゃおおーと絶叫して、急いでズボンを脱ぎゴキを追い払う。小さいやつだったが、すぐシャワーを浴びなおす。ゴキは嫌いって言ったじゃないか、かんべんしてくれえーと泣き言を言っていると、ロスが何、何?と寝ぼけ眼でベットでうごめいていた。

ここは朝食がついているらしく、井出さんとロスと3人で食べる。井出さんが市場に行くというので付いて行き、一緒にマグロをシェアして買った。とれたてのやつが1kg200円位、安い。

宿に戻って洗濯してから、3人でスーパーに行き買い物をして、昼食を作る。

この日は、買ったマグロで鉄火丼の予定だったが、さばいている時に小さな卵があり、寄生虫がいるかもしれないので、念のため火を通して、生姜と卵でとじて「あかの他人丼」にして食べた。味はなかなかグットだった。

その後3人で海を見に行く。ロスはギターが弾けるというので、一緒にU2を歌った。その後帰りに明日のレンタカーの手配をする。2日で80$、ガス代を入れても、1人30$だ。悪くない。

夕食も昼のマグロをパスタにして3人で食べた。

 

さらに翌日、レンタカーでモアイを見に行く。しかし最初島の東側から回ったモアイは、皆倒れていてちょっとイマイチ。イースター島では昔戦争があって、すべてのモアイは1度倒されたとのこと。殆どのモアイがうつぶせに倒されているのは、モアイの目には魔力があると信じられていたので、まず目を壊して、その後下向きにしたらしい。

しばらくしてバイフという遺跡で、下向きに倒れているモアイと一緒にロスが寝そべって倒れ、写真を撮ってくれと言い出す。井出さんと大笑いしながら写真を撮ってあげた。なかなか面白いやつだ。

昼頃ラノララクという、昔モアイを作っていた石切り場に行く。ここは作りかけのモアイが無数に立っており、さながらモアイの製造工場いった感じだ。しかもここには死火山があり、3人で石切り場を登って火口のクレーターを見に行く。

上まで登ると360度海が広がっており、水平線がどこまでも青く続いていた。ここに昔住んでいた人は、この地球上に他の大地があるなんて思いもしなかったんだろうなと、そんな事をぼんやり考えながら海を見つめる。

そしてここで井出さん特製のおにぎりで昼食にする。めちゃくちゃ美味い。

その後日本の協力で建て直し、また大阪万博でも紹介されたというトンガリキのモアイを見に行く。ここでは沢山のモアイが一列に並んでおり、おおっこれぞまさしくモアイ!と感動する。

先程バイフのロスに負けじと、一緒にモアイと並んで立ってぼおっと空を見つめる。これで写真を撮ってもらおうとすると、そこは登っちゃ駄目と島の人に怒られる。

モアイの下はお墓になっている所が多く、その上に乗ってはいけないと言っていると、スペイン語も堪能なロスが訳してくれた。そうか、ごめんなモアイと一応謝っておく。

それからロスがビーチで泳ぎたいというので、島の西側のビーチに行く。僕も水着を持ってきていたが、この日は曇っていて少し肌寒かったので、泳いだのはロスだけ。

もう1つビーチがあるというので、ボツマイアという伝説の王のモアイがある、アナケナビーチに行く。するとここに、日本人でテントを張りながら、自転車で世界のあちこちを何年も回っているという浅野さんに会う。

井出さんは、サンチアゴ郊外のビーニャデルマルという街の日本人宿で一緒だったらしく、紹介してくれた。浅野さんは、アフリカでもテントと自転車だったらしい。なかなか気合が入っているなと感心する。

また浅野と一緒にいた島の兄ちゃん達に、魚を釣ってきたから一緒に食べようと言われる。どうやって釣ったの?と聞くと、穴のあいた竹筒を海にほうり投げて捕まえるのだと言う。浅野さんも挑戦してみたが、まったく釣れなかったと言っていた。

たき火で焼いた魚は、味付けは海の水だけという超自然的なものだったが、ほんのり甘くて美味かった。

喉が渇いたなと思っていると、木になっているココナッツを落して、ナイフで割って飲ませてくれた。ココナッツジュースなんてタイ以来かもしれない。

島の彼達は、アミーゴアミーゴ(友達)と言って本当に良くしてくれる。フレンドリーな彼達と一緒にいるだけで、なんだかすごく楽かった。

 

4日目、この日はすばらしい快晴になる。

この日はまず海に向かってそびえ立つ、7体のモアイのある、アフアキビへ行く。

普通モアイは海沿いに、島の内部を向いて立っていることが多いのだが、ここのモアイだけは皆海を向いて立っているきわめて希な例だ。それから近くの、昔、人が暮らしていたという洞窟に行き3人で中に入っていくと、ロスがああガイコツがあるよーとか、毒ぐもがいるーとほざいている。

、、、いないって。

昼ご飯は、モアイの赤い帽子を作っていた石切り場の、小高い丘へ登って食べる。

青い海と、ハンガロア村を眺めながら食べるおにぎりは最高だ。こうしているとすべての物事はどうでもいい些細な出来事のように思えてくる。

人間は、奇麗な場所と、美味しいご飯、そして楽しい仲間がいるだけで、幸せな気持ちになれるんだな、それだけでいいじゃないかと、そんな風に思えてくる。

 

その後、あまりにも天気がいいので、昨日行ったアナケナビーチへと行き、皆で泳ぐ。

ここは波が高く、ボードを使わず体だけで波に乗る、ボディーサーフィンをロスが教えてくれたので一緒にやる。3回程うまく波に乗れ、水流が顔から足の先まで流れて行く感じが、はっきりわかって面白い。、、、もっともその10倍は失敗して海の中でもがいていたのだが。

それから車に戻ってギターを取り出し、アナケナのモアイの前で自分の歌を歌う。イースター島に来たらぜひやりたいと思っていたからだ。

何をしているの?とロスが聞いてきたので、モアイに歌って聞かせてあげてるんだよと言うと、じゃあ俺もやると言って、2人でU2を歌った。

歌っていると、昨日魚を食わせてくれた島の兄ちゃん達が、馬に乗ってやってきて、オーアミーゴ、いい歌声だねと誉めてくれた。グラシアスと礼を言うと、今から魚を捕まえにいくので2時間後にこいよ、また食わしてやるからと言って去って行った。

いや今日はこれから移動なんだ、ごめんねと彼達が去った後つぶやく。残念だ。

この後トンガリキに寄った後、ラノララクに行く。ここで夕日を見ようということになり、日が沈むのを待つ。昨日会った浅野さんも、今日はこの近くでテントを張っているとかで、一緒になる。

6時半頃、日が沈んできたので、ギターを取り出し歌う。ラノララクのモアイに捧げる歌は、夕日がはえる切なげなバラードだった。

夜、井出さんが朝に買ってきたというマグロで、鉄火丼とセビッチェを作ってくれたので食べる。この日のマグロは新鮮でとても美味かった。

食事の後、3人で話している時にトラブルの話題になる。僕がアメリカで起こった出来事を話し、ニューヨークはあまり好きじゃないと話すと、ロスも東京にいた時同じようなことがあったと話してくれた。

例えば、東京の人は皆冷たくて、ある雨の日、地下鉄でロスが転んで怪我をしたにもかかわらず、誰も助けたり、大丈夫と声をかけてくれず、中には転んだロスの上をまたいで、通り過ぎていった通勤のサラリーマンがいたこと。まだ日本語のコミニュケーションがうまくとれなかった頃、役所のおじいさんに冷たくあしらわれたこと。他にもATMが24時間やっているところを、誰も教えてくれず困ったとか、引越しの時に粗大ごみを役所に申し込んだが、2週間前に言ってくれないと困るといって引き取ってくれなかったこととか、いろんなトラブルが堪えなかったので、東京は嫌いだと言っていた。

そして仕事の仲間も、仕事中は普通にしゃべるけど、仕事が終わるとプライベートなレベルではお互いあまり干渉しないといった雰囲気だったらしく、心からの友達ができなかった事も大きかったと、そう遠くを見つめ昔を思い出しているようだった。

その話を聞きながら、自分も6年前、田舎から東京へ出ていった頃の事、ニューヨークでの出来事を思い出しながら、言葉や文化が違うと特に、それを理解するのが難しい分、より大きなインパクトを受けるだけで、どこの大都会も同じなのかもしれないなと、そう感じていた。

そして井出さんも、アルゼンチンのブエノスアイレスで高価なノートパソコンを盗まれたと話ていた。トラブルがあったり、文化の違いに悩んだり、異国で冷たくあしらわれたりというのは、こういう旅をしていると、皆大小の違いはあれ、同じなんだなと思う。

過ぎ去ったトラブルは、ものすごく悔しいけれど、2人と会えたおかげで、これからは少し違った受け止め方ができるかもしれないと思う。

特にロスの話の中では、日本人の僕からすれば、それ程大したことに思えないことでも、それが理解できず憤慨している様子を見ると、ニューヨークの自分の姿がダブって見えた。やはり異なる文化やその国ではあたり前のシステムも、外から訪れる他国の人間にとっては、容易に理解したり、受け入れたりは出来ないものなのかもしれない。

深い話題が終わって、つながるまで1時間はかかるという、回線状況の悪いインターネットマシンでメールを書いていると、奥でロスと井出さんの悲鳴が聞こえる。

何だろうと思っていると、サソリが出たという。とりあえず叩いて殺したらしいが、部屋の中までサソリが出るとは、、、、、さすがイースター島、恐るべし。

 

 

そして最終日、ハガキを郵便局に出しに行った後、午後からロスとオロンゴへ行った。井出さんも誘ったが、今日はパスとのこと。車は昨日返してしまったので、タクシーを値切ると、1時間チャーターして5$という。自転車をレンタルしても1日10$なので、これはラッキーだ。

オロンゴというのは、モアイを信仰する部族を、戦争でたおした部族の聖地で、死火山の火口を望む山頂にある。

その裏手は断崖絶壁になっていて、すぐ下は海になっており、ここから泳いで、少し離れた沖の島まで渡り、1年に1度、海鳥の卵を取って帰ってくるという鳥人レースの行われた場所だ。

そこの住居跡は、何てことはないものだったが、ここの景色は最高だった。

澄んだ青い海の水平線に、空にまばらに浮かぶ白い雲の跡が、ゆっくりと、ゆっくりと流れて行く。そしてその中に小さなエメラルドグリーンの島が、天からの授かりもののように神々しく浮んでいる。こんなに美しい場所を、僕はいままで見たことがない。

またここは国立公園になっており、他に観光客がいなかったこともあってか、係員が色々説明しながら一緒に歩いてくれた。

その話の中で、このあたりはサメが多くて、鳥人レースの時も多くの人が犠牲になったというフレーズがあり、ロスがそれは今でも?と聞くと、もちろんと返ってくる。だからビーチもあぶないので迂闊に泳いではいけないよと注意されるが、今頃言われても、、、、、あのお僕達、昨日1時間以上も泳いじゃってるんですけどお、、、、い、言えないな、こりゃ。でも食べられなくてよかったと、ロスと顔を見合わせて苦笑いする。

帰る時になって、僕達が公園の入場料を払っていないことに気付き、え?こんな所にあったの?という奥まった受け付で入場料を払う。

ロスが学生証を持っていたので、彼は10$のはずが4$になった。僕にもおばちゃんが、学生かいと聞くが、学生証が無いので正直にいいえと答えようとすると、ロスが、いやこの人は僕の日本語学校の先生ですと答えてくれ、僕まで4$ですんでしまう。

ええ?本当にいいの?という感じだったが、安くしてくれるというので、ありがたく4$だけ払うことにした。得しちゃったな、ラッキー。

それからハンガロア村に戻った後、村の中にあるアフタハイの目があるモアイに行く。モアイには元々どのモアイにも目があったのだが、戦争で全部壊されているので、目があるモアイは、現実には存在しない。しかしここのモアイは何年か前に、新しく目をつけてもらったとかで、ここのものだけ目があるのだ。

またここは、島で1番のサンセットポイントらしく、ロスと2人で日没を待っていると、浅野さんもやってきた。少し雲は多かったが、3人で見た夕日はなかなか奇麗だった。

夜は4人でパスタを作って食べる。また最後の晩餐なのでビールとワインで乾杯した。

食後に、皆でアドレスを交換していると、ロスが自分の名前を漢字で書いてくれた。ロスドイルなのでと、露巣土井流と書いていた。すると井出さんが、ロスの「ス」は、るすの「ス」にしようと言い出し、それならいっそうの事、「留守土井流」にしたらという話になり、彼は僕達に無理矢理改名させられてしまった。でも留守土井流って、なんだか居留守、土井さん流みたいだなと皆で腹をかかえて笑った。

モアイに会いに来たイースター島。しかし僕はここで、それ以上に素晴らしく楽しいものを手に入れた気がする。

ロスのアドレス帳に、旅が終わっても友達でいようとコメントを書きながら、この島での大切な5日間を噛み締めていた。

[Diary Top]