旅日記51  ペルー編
「グッバイマチュピチュ」

6月18日〜20日

サンチャゴから飛行機で約4時間、ペルーのリマに着いたのは深夜1時だった。イミグレーションを通って空港の外へ出ると、わっと人が寄ってきてタクシーはどうだ?ホテルは決まっているか?安い航空券あるぞとあっちからも、こっちからも矢のように言葉をあびせられる。

うざったいのを通り越し、少し恐かったので、ノーサンキューを連発して急いで人の輪の中をくぐり抜けてきた。

次なる目的地、クスコの便は朝6時のフライトだったが、乗客以外も出入りできるエリアは当然のごとく危険なので、うっかり眠ることも出来ない。

そんなこともあって早めにゲートに入り、そこで朝まで待とうとするが、あいにく国内線は搭乗時間直前にならないと中に入れないと言われる。しかたなく、少しびくつきながらも、空港のベンチに座って朝まで待った。

そしてリマからさらに飛行機で1時間、クスコに着いたのは朝の7時半。空港を出るとタクシー乗り場があったので、街の中心部にあるアルマス広場まで行ってもらう。

値段交渉の際に、4$と言われたので、そんなに高いはずはないと言うと、他の運転手達からもこれが決められた公式料金だと矢次のように攻撃される。

前日徹夜でくたくたなのと、ここクスコはかなり治安の悪い街なので、早く宿に行ってもらおうと言い値で乗ってしまった。ボラれているのはわかっていたが、数百円位、保険だと思えばさほど腹も立たない。

アルマス広場から歩いて5分程坂道を上がると、今晩泊ろうと思っているペンション花田が見えてきた。ここはクスコの有名な日本人宿で、南米を旅する日本の長期旅行者はたいていここに泊るらしく、ここにくれば情報も集まるだろうと思ったからだ。

ベットの空きを確認すると、3日位なら空いているという。それ以降は何やら太陽の祭りがあるとかで、すでに予約で一杯とのこと。空いてるならととりあえず3日でOKする。ドミトリー1泊朝食付きで6US$、660円。

部屋に荷物をおろし、リビングに行くと他の住人がいたので話をする。皆、南米やアフリカ、アジアを何年も旅しているツワモノが多く、クセのある人も中にはいたが、皆親切に色んな情報を教えてくれた。

中でも耳寄りの情報だったのが、日本語の読み書きができ、1時間2、5ソル(1ソル約30円)というネットカフェが、アルマス広場近くにあるという。

旅の日記は手書きでずっとノートに書いていたが、それをタイピングするチャンスがなかったので、これはラッキーとその店の地図を書いてもらう。

お腹もすいていたので、ついでにアルマス広場のレストランでランチセットを食べる。スープ、魚料理、アイスクリームが付いて12ソル、約360円。ペルーの伝統料理らしいが、ボリュームも味も上々で、この値段はかなり安く感じた。

またこの国の物価を知ろうと、駄菓子屋のような所に入る。コーラの350mlの缶が1ソル、約30円位。また600mlのペットボトルでも45円くらいだ。この物価レベルはバンコク以来かもしれない。

教わったインターネットカフェに行くと、確かに日本語の読み書きができる。溜まった日記を打ち始めるとあっという間に、時間が過ぎて行き、6時を回って外も真っ暗だ。

クスコは夜になると首閉め強盗が出るので、急いで帰ろうとするが、道に迷ってしまい今自分がどこにいるのかもわからなくなってしまった。

気付くと殆ど人通りのない細い裏通りに、ぽつんと1人立ち尽くす自分。これはやばい。またここクスコは標高が高く、高山病予防にと昼間がぶ飲みしたコカ茶が効いてきたのか、急にトイレに行きたくなってきた。そして気温はどんどんと下がりさらに追い討ちをかける。寒いぞ、トイレに行きたいぞお。

走って来た道を引き返し、人づてに道を聞いて宿へ急ぐ。走ったせいか息苦しい。しかもトイレが限界に近づいてきた。こんな所で立っションするのは嫌だぞお。

小走りに、そして少し内股ぎみに坂道を駆け上がると見覚えのある場所に出た。そして宿に入るなりトイレに駆け込む、、、、、、セーフ。ほっ間に合ってよかった。しかし空気が足りん。苦しいー、酸素をくれえ。

夕食の時間になって、自炊しようとしていると、他の宿泊している人たちに、よかったら一緒にシェアしないかと言われる。

ここは標高3300メートルにあり、米を炊くのにも圧力釜で2時間近くかかるのだ。これはラッキーとお言葉に甘えることにする。白いご飯と野菜のクリームシチューが、一人約3ソル、90円。なかなか美味い。明日はチキンらしい。ここにいる間は当分飢えずにすみそうだ。

夜になると、恒例らしい麻雀が始まった。やったことある?と聞かれたので、少し打てる事を話すとぜひやろうと誘われる。多少の独自ローカルルールはあったが、レートもかなり安かったこともあり、まぜてもらうことにした。対戦成績は半チャン3回で、1位、2位、1位で僕の1人勝ちだった。いきなり来てごりごり稼ぐ新入りというのは、さぞかし嫌われるだろうなと思いつつも、結構マジで打ってしまった。でもずいぶんと久々だったのでとても楽しかった。

 

 

翌朝起きると、皆でリビングのTVを見る。ここは衛星放送が入っており、日本のNHKまでうつるのだ。皆はいつもの事らしく、NHKの連続ドラマを見ている。地球の裏側にいながら、かかさず連続ドラマをチェックしている様子は、少し不思議な感じだった。

その後VTRを見ようということになり、宿にあったピアノレッスンを見る。これは設定が開拓期のニュージーランドで、マオリの生活なども描かれていて、VTRを見ながらニュージーランドでの日々を思い出す。

それから昼少し前にアルマス広場の代理店で、明日のマチュピチュのチケットを手配する。本来だとアウトバゴンと呼ばれる急行列車で行くのが一般的なのだが、すでに一杯というので、ローカル電車で行くことにした。

ガイド付きのツアーなどは、もちろん僕が行けるはずもないし、アウトバゴンでも1万円近くかかってしまう。ローカルなら6000円くらいで行けるので、往復の電車と、駅からマチュピチュの往復バス代、そしてマチュピチュの入場料だけお願いする。これで60$。

自分で駅に行ってチケットを購入しようかとも思ったが、往復のタクシー代を入れると、それほど大差なかったので、そのままお願いしてしまった。

この日も午後から1日ネットカフェで、日記をタイピングする。帰りもまた遅くなってしまったが、すこし馴れたのか、この日は迷わず帰ってこれた。

 

 

そしてペルー3日目、念願だったマチュピチュに行く朝を迎える。

朝7時半の列車だったので、6時に起きタクシーに乗って駅に尽く。タクシー代4ソル、120円。こんなものかなと思って乗ったのだが、後で聞いた話ではこれでもボラれていて相場は2ソルらしい。

駅に着いてから列車に駆け込む。しばらくして列車は走り出し、ゴトゴトと揺られながら山の中を走ること4時間、マチュピチュの最寄り駅、アグエスカリエンテスに着いたのは11時半だった。

そこからさらにバスで30分、曲がりくねった山道を登り、マチュピチュへと到着する。

3日前にクスコに着いたときは雨が降っており、天気予報では、しばらく雨とのことだったが、この日のマチュピチュは雲1つ無い快晴。最高のマチュピチュ日和?だ。

入場ゲートがあったので、中に入る。しかし僕はギターを持っていたので、それはバケージカウンターで預けてこいといわれる。

歌わないから(絶対歌うのだけど)と言っても駄目だと入れてくれない。泣く泣くギターを預けることにする。まあ後で、マチュピチュが見える丘でも登って歌うことにしよう。

中に入ると、写真と同じ風景が目の前に広がっている。段々畑をひた上がり、遺跡内のてっぺんの小屋のような所へ来た。そしてここから見た風景は、、、、、まさに幻の空中都市、マチュピチュだった。

真っ青な空に吸い込まれるようにして、インカ帝国の広大な秘密都市が広がっている。そしてその背後には、ワイナピチュの山がそびえ立つ。何度も、何度も写真で見た光景が、同じように、いやその何倍も美しい光景が、今、目の前にある。何の言葉すらなく、ただただ、そこに立ち尽くし見とれていた。

しばらくして、英語で写真を取ってもらえないかと声をかけられ、はっと現実に戻る。振り替えるとアジア人の青年が微笑んでいた。もちろんと答えてカメラを受け取り、シャッターを押す。

どこから来たんですと言われたので、日本の東京と答えると、あ、なんだ日本の方だったんですかと、日本語で返ってきた。彼もまた日本人だったのだ。

彼の話では、僕がペルー人に見えたとのこと。チャイニーズ系とはよく言われたが、いよいよ南米人にも見えるようになったらしい。スペイン語で話さないといけないな、こりゃ。

彼と話していると、彼はマチュピチュ4日目で、ワイナピチュからの景色が最高だとしきりに進められたので、登ってみることにする。

入り口の小屋で名前を書いて入山すると、険しい山道が続いていた。なんでも以前事故にあって返らぬ人がいたとかで、チェックの為、入山と下山時に必ず名前を書かされるらしい。

とぼとぼと山道を登ってゆくが、想像していた以上にアップダウンが急で険しくキツイ。30分も登るとさすがに息苦しくなってきて、少し休むことにした。

すると下山してきた人達に、あと10分だから頑張れと励まされる。よしそれなら頑張るかという気持ちより、まだ10分もあるのという気持ちが先立って、よけい起き上がれない。

でもいつまでもここにいても仕方ないので、しぶしぶまた登りはじめる。

道は急になり、大人1人がやっと通り抜けられる石のトンネルや、大きな岩をよじ登ってやっと頂上に着いた。ひええ死ぬう。しかしここの風景が、、、すごく奇麗だ。

この日は快晴だったので、かなり遠くの白い山々まで見渡せた。そしてマチュピチュが、、、小さい。

心地よい風を受けながら、岩の上に横になって休む。

ふと横を見ると岩の上で蝶々が羽を休めて止まっていた。こんな所にも命が息づいているのだと驚かされる。

しばらく休んで下山し、ノートに記入した時間は2時半頃、ちょうど2時間くらいだった。

 

それから30分程、また段々畑の上からをマチュピチュをぼうっと眺めて過ごす。多くの観光客はガイドに連れられて、あちこち説明を受けているが、僕にとってそれはどうでもよいこと。ごたごたとうんちくを詰め込むより、この美しい景色を眺めているただそれだけでいい。

青い空に溶けてしまいそうなマチュピチュを、見ているだけで幸せだった。

帰りの列車が4時半なので、本当はもう少しこうして眺めていたかったが、マチュピチュを後にする。

バケージカウンターでギターを受け取り、インカ道を少し降りると、ちょうどマチュピチュが良く見える場所に大きな岩があったので、腰掛けてギターを取り出し歌いはじめる。

僕の歌声が緑の山々に響いている。それがマチュピチュへと届いたのだろうか、インカの民族衣装に身を包んだ、小学生くらいの女の子が降りてきて、じっと僕の歌を聞いていた。

日本語の歌なのにわかるかな?と思ったが、真剣に聞いているので、僕も心を込めて少女に、そしてマチュピチュに向かって歌い続けた。

曲が終わると、彼女はこれあげると言って袋に入ったビスケットを1箱くれた。そしてアミーゴ(友達よ)チャオ(またね)と言ってさらにインカ道を下って行く。

グラシアスとお礼を言うと、振り返って微笑み、アミーゴチャオと何度も手を振りながら去っていった。思わぬ出来事に嬉しくなる。

彼女が去ってから、アップテンポの曲を始めた所で、ギターの3弦が切れる。急いで張り替えようとするが、どうやらクスコの宿に弦を忘れてきたらしい。

まだ1曲しか歌っていないのに、3弦の無いギターでどうしろと!と思うが、とりあえずバラードなら少しはマシかと、さらに2曲程歌った。

やはり3弦の無いギターは少し辛くて、音数は少なかったが、それでもそれなりに気持ち良く歌うことができた。

時計を見ると4時少し前だったので、列車に遅れてはと急いでバスに飛び乗る。そしてまもなくするとバスは鉄道駅に向かって動きはじめた。

しばらく行くと、曲がりくねった山道のカーブの一角に、インカの民族衣装を来た子供たちが何人か集まっており、そのうちの1人がグッバーーイ!と叫んで手を振っている。

窓から顔を出して見ていると、その子供達の中に、僕にお菓子をくれた少女も混じっていた。彼女も僕に気付いたらしく、ぱっと満弁の笑みに変わって、アミーゴチャオと言って手を振りながらバスに向って走り出してきた。僕もバスから身を乗り出して手を振って応える。もちろんバスのスピードに少女が付いてこれるはずもなく、すぐにその姿は見えなくなってしまったが、僕の胸には言葉にならない熱い思いが、込み上げてきていた。

そうか、彼女はグッバイボーイ(ガール)だったんだ。

噂に聞いていたグッバイボーイ。

バスが通る鉄道駅とマチュピチュを結ぶ山道は、横に長く曲がりくねっていて続いている。しかし人が通るインカ道は、縦にまっすぐと伸びており、走ればバスより早く下に降りてこれる。これを利用して現地の子供が、毎カーブごとに先回りして、グッバーイとかアディオースと叫んでは、ふもとまでついてくるのだ。

ただバスは10分に1本位の割合であり、一度下に降りてしまうとと、とてもじゃないが登ってこれない。それでバス1台に子供が1人ずつ、それぞれ担当としてずっとついてくるようだ。

僕にビスケットをくれた子は、まだ自分の番ではなかったらしく、僕達についてきた子供は、別の少年だったが、先回りして何度もグッバーイと叫ぶ少年の姿は、バスの白人達に好評で、彼が叫ぶたびバスの中には、どっと笑いがおきていた。

そしてバスがふもとまで着くと、少年はバスの中に乗り込んで来て、グッバーイと大きく1つ叫ぶ。おおっ車内まで入ってくるのかと驚いていると、少年は乗客からチップをもらって回っている。どうやらこれは彼達のいいアルバイトのようだ。

僕もすっかり気をよくしていたので、チップをあげようと財布を探していると、隣に座っていたガタイのいいおじさんが先にチップをあげてしまう。すると少年は、僕達が親子と思ったのか、次の席へと行ってしまった。そして少年は最後に大きくグッバーイと叫んで、バスを降りていった。

へえ、おもしろいなと感心しながらも、観光客からチップをもらうグッバイボーイ、そしてそのグッバイボーイからお菓子をもらう自分という構図を頭に思い浮かべては、1人笑っていた。

 

予定より10分程遅れて走り出した列車は、4時間半程かかってクスコの街へと戻ってきた。街の中、それも段々に立ち並ぶ家の横をレールがしいてある為、まっすぐ降りてくることができず、途中何度も止まっては、レールを切り替えて、ジグザグに振り子のように行ったり来たりして、やっとの事で列車はクスコの鉄道駅へと到着した。

クスコの街の夜景は、ものすごく美しかったが、時間は夜の9時半を過ぎており少し不安になる。この時間は、強盗が多発するからだ。

ここは金を使うところと、タクシーに乗って宿まで戻ってくる。ここでも5ソル、150円とかなりボラれたが、親切だったので言い値で払ってあげた。そして宿に着いたのが夜の10時。

宿に戻って、グッバイボーイにお菓子をもらいましたと言うと、皆に笑われた。でもせっかくなのでと、皆でそのビスケットを食べる。

予定どおりマチュピチュで歌えたので、明日サンチャゴに戻ろうと思いますと言うと、じゃあ今晩は徹マンだと言われる。

まじい?と思いながらも、満弁の笑みで、楽しかったこのペルーとマチュピチュに、僕は静かにグッバイと呟いた。

 

 

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