旅日記83 インド編Vol.5
 「聖地ベナレス」

 9月3日ー5日

 デリーからの夜行列車でベナレスに着いたのは、朝の10時半頃。列車の中で偶然に、ニューデリー駅の外国人チケットオフィスで会った日本人青年、藤林君とばったり再会し、チケットを確認すると、座席も前後ろだったので、彼と一緒にベナレスを回ることにする

列車は2Aのコーチで広々としていたが、茶羽ゴキブリが大量発生し、すでに2、30匹殺しているというのに、次から次からと沸いてきてキリがない。おまけに風邪の下痢も再発し、トイレに行くこと十数回。それでもなんとか辿り着き、2人でオートリクシャに乗って、ガンジス川沿いの旧市街の宿に向かう

しかし走り出し暫くして、リクシャの運転手が急に車を止め、お前達の行く宿は路地が狭く、その1km前までしかリクシャでは行けず、15分程歩かなくてはいけないので、他の宿へ行こうと言い出す

最初乗るときに宿の名前を告げると、その宿をよく知っていて、宿のすぐ前でおろしてくれると事前に何度も確認してから乗っているのに、話が違うだろうと言うが、じゃあ15分歩くのか?無理だろう?などと強気にほざくので、それならもういいとリクシャを降りようとすると、バカ!と大声で罵声を浴びせられる

それでも無視して藤林君に、さっさと降りようと誘うと、今度はおもちゃのピストルを僕に向けて、Kill You!と低いドスのきいた声で脅してきた

こちらも完全にぶちギレて、やれるもんならやってみやがれ!と日本語で吐き捨てて、そのリクシャを飛び降りる

しかしここはリクシャがあまり通らない場所で、ヤツはワザとこの場所を選んで車を止めたようだ。いつまで待っても他のリクシャが通 りそうにないので、少し歩いて他のリクシャを探すことにした

でもやはり宿の名前を告げると、オートリクシャでは近くまで入れないらしく、平林君がガンジス側沿いのその宿にどうしても泊まりたいというので、しかたなくサイクルリクシャに乗って、20ルピー、50円でその宿の近くまで行ってもらうことにする

サイクルリクシャというのは、自転車の後ろにギリギリ2人乗れる程の座席がついている、人力タクシーなのだが、僕達はバックパックを持っている上、道が悪くガタガタと揺れ、今にも振り落とされそうだ。荷物用のスペースなども当然ないので、重い荷物を片手で宙吊りにしなくてはいけなく、乗り続けるのがかなりツライ状態。またリクシャーの運転手も相当キツそうで、少し悪いことをしたかなと思う

 15分ほど走って、リクシャはダシャーシュワメードガードという、沐浴場の近くに止まった。運転手に少し多めにお金をあげて、そこから細い路地に入り、予定していた宿を探そうとするが、なかなか見つからない

しかも紹介料をせしめようと、客引きのインド人のおやじが、さっきからずっとついてくる。はじめは無視していたが、あまりにもしつこいので、追い払おうとするが、なかなかあきらめない。その内こちらもキレて、あっちいけバカヤローと怒鳴ると、他のインド人達と一緒になって、Manyジャパニー、バカー!アンポンタン!とからかってくる

予定している宿もかなり奥まった場所にあるのか、探しても探しても見つからない。おまけに通 路はかなり入り組んでいて、迷路のようで、このままだと迷子になりかねないので、その宿は諦め他の宿を探すことに

しかし重い荷物を担いで歩き回っていたのがいけなかったのか、興奮して怒鳴ったのが原因かはわからないが、熱が出てきてしまい、もうフラフラだ

知っている宿をと、ベナレスの日本人宿、クミコハウスを目指すが、次に乗ったオートリクシャも、紹介料をとろうと別 の宿に連れて行こうとする。こちらが指定した宿以外は金を払わないというと、わかったお前のいうとおりにすると答えるが、ものの2分もしないうちに、また違う紹介料のとれる宿へ連れて行こうとする

しかたなくこのリクシャも降りて、さらに別のリクシャに乗るが、こいつもまた同じことを繰り返すはめに。おまけに先程から、次から次へと客引きが沸いてきてリクシャに群がり、俺の知っている宿に泊まれ、いや俺の宿だと次々に声をかけてくるが、いらないと言っても引き下がらないので、無視していると、こいつらも揃い揃って、バカー!バカー!と罵声を浴びせてくる

最後には皆でそろってバカー!バカー!の大合唱に。いったいどうなっているんだ、この町は。狂ってる

熱もかなり高くなってきて、もうほとんど意識がない。さらに腹も痛くなってきて、かなりやばい状態。そして数台のリクシャに違う場所をあちこち連れまわされ、今自分たちがどこにいるのかすらわからない状態。最悪だ

でもこんな時、相方がいるのが心強く、さっきまで不安げにしていた藤林君が、僕の状態を察してくれ、たまたま通 りかかった日本人に、現在地を聞いてくれ、彼達の泊まっている宿を紹介してもらい、またさらに別 のリクシャに乗って、そこまで連れていってくれた。そしてそれぞれシングルルームにチェックインする。ここが1泊80ルピー、200円

体調が悪い僕は、夕方まで薬を飲んで寝ることに

その薬が効いたのか、熱は少し下がったが、ひどい下痢が続き、もう体中の水分がなくなり、脱水状態になる

少しでも体に何か入れようと、藤林君と一緒に宿近くのレストランで夕食をとり、また薬を飲んで安静にし、水分補給も絶やさないようにするが、下痢はさらにひどくなり、この晩だけでトイレに30回以上起きるはめになった。こんなにひどい下痢は生まれて初めてだ

 翌朝、部屋にでかいトカゲ(ヤモリ?)が出て、藤林君が耐えられないというので、他のもう少し良いホテルに移ることに。僕の部屋にも3匹でかい奴達がいて、天井や壁を這いずり回って、餌のハエなどを食べていたが、直接的に害がある訳ではないので、僕的にはあまり気にならなかったものの、まだ体調が優れないこともあって、できれば共同トイレでなく、個室にトイレがある位 の、少しマシな宿にと、一緒に移動することにする

そしてこの日は、アッスィーガードという沐浴場近くのホテルに泊まることにする。ここは近くの少し外見がよさげな宿に入った時、そこが一杯で、同じ経営者がやっているGoodな宿だと紹介されたホテルだ。ここが1泊、シングルで150ルピー、375円

 少し高いだけあって、部屋はまずまず。しかしここの従業員が最悪で、顔を合わす度に僕達をツアーに行かせようとする。いらないと断っているのに、部屋までやってきてドンドンとドアを激しく何度も叩き、そこでも勧誘され、かなり気分を害する

宿の食堂で食事をしていても、すぐまたツアーはどうだと誘われ、そのくせ頼んだ食事は忘れてこなかったりするから呆れてモノも言えない

それでもこの日も昼間休んでいたせいか、だいぶ体調が戻ってきた。少し元気になったので、夕方、宿近くのガンガーの沐浴場へ、ギターを持って出ることにした。そしてアッスィーガードのコンクリート階段に腰を下ろし、ギターを片手に歌い始める

すると大勢の子供達が寄ってきて、あっという間に人だかりにかこまれる。そしてガンジス川に向って歌い続ける僕の歌声が、あたり一帯に響き渡る。僕の周りにいる子供たちは、いわゆるカースト外のバクシーシ(乞食)階層の子供達だったが、非常に人懐っこくて、すぐに仲良くなれた

本当はベナレスの前に、カルカッタのマザーハウス(マザーテレサの建てた施設)に住む孤児達に、自分の歌を聞いてもらおうと、デリー発カルカッタ行きのチケットを買っていたのだが、例の列車の6時間遅れでそれが駄 目になり、非常に残念に思っていたが、これでその代わりが出来たような気がして、少し嬉しかった

しかし30分もすると雨が振り出し、どんどんと雨足が強くなってくる。雨宿りする場所もないので、1時間半くらい歌ったところで、切り上げて宿に戻ることにした

道のあちこちにある、多くの野良牛の糞や、人糞が雨で流れ出し、道はぐちゃぐちゃ。かなり非衛生的だ。それでもなんとか宿に戻ってくると、ここの宿でも巨大トカゲ(ヤモリ?)が大量 発生して、あちこちの壁や天井にへばりついている。やはり雨季のベナレスはどこへ行っても同じなのかもしれない

それでも少し体調がよくなったこともあって、この晩は快適に眠ることができた

 翌朝、藤林君と2人で、マニカルニカーガード近くの火葬場に行く。ここも細い路地を抜けていくのだが、途中また頼んでもいないガイドが勝手についてきて、あれこれと説明をはじめた。僕は無視していたが、藤林君は彼の話に熱心に耳をかたむけている

しばらくして、その男に火葬場横の死を待つ人の部屋に連れていかれる。そこには1人の老婆が寝ており、彼の話ではここで死ぬ のを待っているとのこと。でも彼女には身寄りがなく、彼女を燃やす為の薪代を寄付しろと言ってくる。藤林君は、彼の言い値である50ルピーを払っていたが、僕は完全に無視。この自称ガイドがその老婆と無関係であるのは、誰の目にも明らかだった。それでも彼はしつこく、僕のカルマ(汚れ)を取り除く為にお布施を出せと迫ってきたが、カルマを取り除く必要があるのは、僕ではなくこの男の方じゃないかと思い断る

藤林君にも、お金を払う必要はないと忠告したのだが、彼いわく、納得して払ったそうなので、それは個人の自由だとは思うのだが、、、

しばらく2人でガンジス川と、焼かれる死体をぼおっと眺めていた。そして藤林君がぽつりと言う。「うーん、やっぱりベナレスって生と死が交わる場所ですね」と

しかし僕の印象は少し違う

ガンジス川が雨季の為、茶色く濁っていたこともあるが、僕にはただの何てことはない川としか思えなかった。そして火葬場にしても、近代化されているという違いはあるものの、日本にだって沢山あるではないかと思う

僕は親族の死を何度もこれまで見送っているので、火葬の方法という意味では確かに興味深いものの、何もここまで来ないと、「死」というものを実感できないのかと、日本人を少し寂しく思う

人間は確かに皆いずれ死ぬ。だからこそ、今を生きようと思う。そういう意味で「死」というものを意識するのは大切だが、ベナレスに来ないとそれを感じられないというのは、少し違うんじゃないかと思うのだ

ガンジス川は確かにヒンドゥー教徒の聖地だし、それは間違いのない事実だ。しかし同じインド人でも、スィ−ク教徒や、イスラム教徒は1人もこの町では見かけない。それをまったく無関係な日本人が、無条件にありがたがるのはどうかと思う

ヒンドゥーに帰依するものならいざ知らず、皆が無条件に、クリスマスや初詣をごっちゃにした同じ次元でありがたがって、聖地だ聖地だともてはやすものだから、この町の人心も、ツーリスト、特に日本人に対してスレていくのではないのか

この町を目を凝らしてよく見てほしい。剥き出しの悪意がこれほど顕著に表れているのは、今、インドのどの都市よりも酷いのではないか

沢木耕太郎の深夜特急にあこがれて、この地を目指す若者は、今も昔も沢山いると思うし、僕もその内の1人だ。しかし僕達は自分自身のこの目で、現実をちゃんと直視することが大切だと思う

簡単に騙され、現地の人間にとっては1年分の給料を、気安くほいほいとバラ撒けば、次第に人を騙して金を取るのが当然となってしまう。ベナレスをここまで悪意に満ちた町にしてしまったのは、僕達外国人旅行者の責任ではないか。これでは確かに彼達の言う通 り、Manyジャパニーは、バカでアンポンタンで、騙されて当然の存在なのかもしれないと思う

僕達1人1人それぞれに、目と、耳と、体と、心があるのは、自分自身でちゃんと物事を受け止めることができるようにあるのだと思うし、それはとても大切なことだと思う。だからこそ、この町を訪れる旅行者に問いたい。ガンジス川は、ベナレスは、本当に「君にとって」聖地なのか?と

考えた上で、それでもここは聖地で、ガンガーをありがたがるならば問題はない。ただ、ガンジス、ベナレス=聖地というモノの見方は、とても危険なことではないかと、僕はそう強く感じずにはいられなかった。そしてそのことは、日本から遠く離れたある国の、1地方都市に限ったことだけではないと思う

火葬場を離れて、僕は、今日の夕方デリーに戻る藤林君と別れて、宿をチェックアウトし、リクシャで鉄道駅へと向かった

事前に40ルピーと約束していたにもかかわらず、支払いの時になって50ルピーと催促されたが、少し体調が戻った僕は、笑顔でサンキューと40ルピーだけを彼の手に渡し、予約した列車に乗った。そしてこの列車で30時間も走ると、ムンバイ(ボンベイ)に辿り着く。その後はインドとももうお別 れだ

そう、つまりそれはあと数日でこの旅が終わることを意味している

この町では本当にいろんなことがあり、そしていろんなことを考えさせられた

間もなく訪れる、この旅の終わりに、僕はいったい何を思うのだろうか。

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