旅日記84 香港編
 「終わりとまり」

 9月6日ー7日

 インドベナレスから夜行列車で走ること29時間、ムンバイのビクトリアターミナス駅に着いたのは、翌日の午後3時。そしてそのままタクシーに乗って、サルベーションアーミー(救世軍)へと向かう

宿のベットに空きがあったので、チェックインし部屋に入ると、そこには他にも3人の日本人が部屋でくつろいでいた。彼達と旅の話をしたり、ギター片手に歌ったりしながら時間が過ぎて行く

その後宿の食堂で夕食を取り、部屋へ戻る途中の階段で、またギター片手に歌っていると、オーストラリアとニュージーランド人の女の子2人組みが、階段に腰掛けじっと僕の歌を聞いている。そして彼女達は、曲が終わると拍手してくれた

 しかし次の曲の途中でギターの3弦が切れる。だが代えの減がなく困っていると、ニュージラーンドの彼女が、私持ってるわよと自分の部屋に戻って、3弦を1本持ってきてくれた

話してみると、彼女もギターを弾くらしく、それならと彼女のギターと、僕の歌でセッション大会となり、盛り上がる

だが30分もしないうちに、もう夜で遅いのでと、ガードマンに止められお開きになってしまった。でもまさかこんなところで、国籍を超えたセッションができるとは思ってもみなかった。まったく嬉しい誤算だ

深夜12時になったので、タクシーで空港へと向かう。1時間後、ムンバイの国際線エアポートに到着。タクシー代が250ルピー、625円

そして朝4時40分発の便で、タイのバンコクを経由し、香港に降り立ったのは現地時間の午後3時過ぎ。いよいよ日本との時差もー1時間。日本はもう目と鼻の先だ

イミグレーションを通ってA22のエアポートバスに乗り、まずは宿へ向かう。大都会香港を海越しに眺めながら、大きな陸橋を通 って、ジョーダンという町へ。そしてこの町の日本人宿、ラッキーゲストハウスにチェックイン。ここのドミトリーが1泊80香港ドル、1200円。そして往復のバス代が55香港ドル、825円。やはり香港は物価が高い

宿で荷物を降ろし、この近くでおいしいと評判のヌードル屋へ行き、ワンタンを頼む。ワンタンにはこれでもかっていう程エビがつまっており、プリプリして美味い。これとコーラで20香港ドル、300円

せっかく食の街。香港に来たのだからと、まだお腹に余裕があった僕は、ジャッキーチェンの専属シェフが経営しているという、チャイナレストランに入った。そこで牛肉のオイスターソースの炒め物と、中華がゆを頼む

オイスターソースの炒め物は、生姜がたっぷりと入っており、なかなかの食べ応え。おかゆも上質のタピオカみたいでとても甘かったが、どちらもものすごく美味いという程ではない。僕的にはちょっと期待はずれ

しかし健康によさそうな食べ物で、医は食からという中華のスタイルを感じさせてくれる。これで60香港ドル、900円

帰り道、セブンイレブンに寄って宿へ戻る

宿に戻ると、日本人のこれから世界一周に出ようという若者がいたので、自分の体験した出来事などを話す

これまであった出来事を話していると、まるでその時々に戻ったような気がしてくる。だが、それと同時に明日はもう日本へ帰るという現実、自分はもう旅人ではなくなるのだという言いようのない寂しさがこみ上げてきた

ベナレスで体調が悪かったときは、もう早く日本に帰りたいと思っていたのだが、体調が戻り、いざ日本に帰るとなると、やはり寂しいというのが本音だ

僕が歌いながら旅してきたことを話すと、歌ってくれということになり、ギターを取り出し歌いはじめる

3曲目に1弦が切れ、張り替えようとケースをまさぐるが、とうとう1弦もなくなったようだ。最後の最後で、このギターもまた、1本弦の足りないギターになってしまった。まあ日本に戻ってから買うとするか

翌朝、5時半起きなので、この日は早めに寝ることにする

 明日には僕はもう日本にいる。まもなく、長いようであっという間だったこの旅も、終わろうとしている。そしてその後日本で始まろうとしている、新しい毎日はいったいどんなものなのだろうか

やっと終わるという達成感と、終わってしまうという寂しさ、まだ見ぬ明日への期待と不安が入り混じる中、ゆっくりと眠りの中へ落ちていく、この旅、最後の夜だった、、、。

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